2017年12月20日 (水)

ジュネーブから金沢へ

先々週ぐらいに自分の仕事を終わらせてしまったのでこの二週間程はそれほど忙しくないそういうちょっとゆったりとした日々でした。そうゆう中、遂に年末近くになり、年末年始の帰国の日になりました。

アパート引っ越しの時にも書きましたが、最後の数日はCERNの宿舎でした。荷物のほとんどはオフィスだったのでオフィスが基地となってでしたけどね。

相変わらず起きるのが早いので出発当日も早い時間のバスに乗って空港に向かいました。遅いよりも早いにこしたことはないですから。

今回の帰国はまだ転職が決まる前、十月頃に決めました。ポーランドの航空会社ですがとにかく安い。ジュネーブ成田の往復で何と、6万5千円。どうしてこんなに安いの?と思うぐらいです。しかもワルシャワー成田の飛行機はボーイング787と最新鋭。乗り換えがワルシャワとちょっと変わった所ですがその値段なら、と購入しました。

相変わらず荷物が少ない僕。スーツケースを持っていないのでダッフルバック二つです。

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大きな方には木箱に入ったスイスワインが一本にチョコレートにフォンデュ陽のチーズ。小さな方にはフォンデュの鍋がダンボール箱と緩衝材とともに入っています。フォンデュ鍋の中にはクリスマス用のオーナメントまで入れてあります。そう、今回はお土産を用意してあるのです。アメリカ、それもオマハではなく今回はジュネーブからなのでお土産として喜ばれる物があるのですね。

最初は大きなのだけを預けるつもりだったのですが、なんと、2つまでは無料なので結局、空港でどちらも預けて今回は本当に身軽にしました。どちらにも割れ物が入っていますが多分、大丈夫だろうと信じて、です。

さて、ジュネーブからワルシャワまでの飛行機はガラガラ。

Flight
離陸直後にはちょうどCERNの僕のオフィスの真上あたりを通過して行きました。そうか真上を時々通過する飛行機の一つなんだな、と認識しました。

Cern
日本との時差を考えると寝ておいた方が明らかに有利なので半分以上は寝てました。

ワルシャワでは出国管理のお姉さんにちょっと尋問されました。シェンゲン地域に最後に入ったのが随分前なので「どういう事?」と思われたのですがスイスカードを見せたらすぐに通してくれました。

お姉さん曰く、「シェンゲン地域に入ったのは随分前にポルトガルなんだけど?」おかしいなあ?と思って後でパスポート見たらいえいえ、最後は五月にパリのドゴールでしょう?まったく何を見てるの?ですが向こうは役人ですししかも通過した後なので文句も言えません。しかしまあ出ていく分には関係なくないかい?と思うのですけどね?

ワルシャワから成田の飛行機もかなり空いていました。すぐ隣は空席。通路側にツアーでやって来ていた感じの日本人の女の方。日本人はほとんどみんなツアーだったみたいです。

さて、成田に到着したのは予定よりも少し遅れた時間でした。その上で荷物の出てくるのが遅い事!おかげでようやく通関した時には思っていた成田エクスプレスには乗れず、もう一本後のに乗る事に。それによって自動的に金沢に戻るのも思っていたよりも一時間遅くなり金沢に着いたのは午後四時半。やはり金沢は成田からはまだまだ遠いなあ、と実感しました。

2017年12月16日 (土)

アパートから宿舎へ

事の発端は11月に実験の会議があった時にボスが来ていた時に遡ります。その時にボスと話をしました。同僚のポスドク君が仕事をしていない、と言う事で。全くしていないわけではないですがしかし夜の八時ぐらいにオフィスに向い、でも午前一時に閉店の近所のパブで目撃されていて僕が起きる早朝に起きている形跡がなければそれは「仕事をしてない」と判断されても文句は言えません。

夜にオフィスに来ているので誰とも会わないのが普通。しかしCERNに来てるのって人と共同作業ができるというのが一番大きな理由。従ってその意味がないのです。それどころか当然の様に朝、起きる事ができないので朝の講習会を寝過ごしてしまうと言う事もしていますし、検出器にアクセスがある時もちゃんと時間通りに来なかったりする事も当たり前に。

そもそもが時間にちゃんとしている方ですらなく、30分に一本しかないバスを三本続けて乗りそこねると言う芸当を何度もしています。いったいどうやったらそんな事が可能なのかサッパリ僕にはわかりません…。時間の流れ方が違う、としか表現ができません、こうなると。

さて、ボスと話をして結局、アメリカポスドク君をに引き戻す事に。アメリカで大学で勤務なら少なくとも昼ぐらいまでには来ていないと、となるしCERNとつないでのミーティングはアメリカからだと基本的に朝の時間になるからです。他にもアメリカに戻ったら出費が少なくなるはずですから給料を右から左に使う事はなくなるであろう、と思われます。

結果的にポスドク君、12月でアパートを解約する事に。その関係で一緒に住んでいた僕も最後の数日はCERNの宿舎でした。僕は元々そうしようか?とは思っていましたしね。一月はそうしようと思っていましたし。

その前に時間がある時に夏服とか絶対にしばらくは必要のない物をオフィスに持ってきておきました。一月になったらフランスまで送ればいいからです。それほど物が多くなくてもそれなりの物がありますからね。

それと同時にアパートも少しずつ片付けです。まずは時間があった時にキッチンの床掃除から。アパートは全体がタイル貼りでしたが土足で歩き回る上にあまりキレイではないポスドク君が二年住んだらタイルとタイルの間の部分が何とまっ黒になっていました…。それをスポンジと洗剤でゴシゴシやってみたらそのうちキレイになりました。

定期的にキッチンやリビングを箒で掃いてはいましたが何か小汚いのですね…。床はザラザラかベトベトでしたし。おかげで住み始めてすぐに靴下はどれも裏がまっ黒になりました…。掃除をすると言う気はポスドク君にはほぼなくて、だったのですよ…。最終的には僕がアパートの僕の部屋、バスルーム、入り口にキッチンを掃除してポスドク君が彼の部屋にリビングの掃除で合意しました。

アパートにはモップもあったのですがこれが使えないモップだったので結局、僕がジュネーブから使い捨てのパッドを使うモップを買ってきました。まずは箒で掃いてそれからドライモップでキレイにしてからウェットモップでもっと、という具合です。

日曜日から宿舎を押さえてあったので土曜日の午後から僕は掃除です。それまでには殆ど全部の持ち物をオフィスに運んでありましたし。最後の一週間になったらホントにその一週間分の服があれば何とかなりますからね。大きな荷物を持ってバスに乗り込むのも迷惑な話ですから小分けして数日かけて運んだのです。

キッチンはそれでも今ひとつキレイにならなかったので最後はまたスポンジと洗剤でゴシゴシ。ようやくキレイになりました。その結果、最後の夜までだけはアパートの床がキレイでサラサラでした。本当はそれが当たり前の状態のはずなのですけどね…。

しかしポスドク君、なんと土曜日の午後になってようやく必要ない物を捨て始めました。その上、夜になったらダウンタウンのスタバに出かける始末…。ええ?!どうして?!と僕から見たら理解不能です…。そういうポスドク君を放っておいて日曜日の朝、最後の部分を掃除して朝のうちにオフィスに移動。午後には宿舎にチェックイン。

結局、ポスドク君は何と前日の夜と言うか真夜中を過ぎて午前に入ってようやく何とか掃除が終わったみたいです…。二月から一緒に住んでてわかった事はとにかくどうしたらここまで先々を考えないで生活ができるの?と言う事。別に引っ越すのが急に決まったわけでもないのに先延ばし先延ばしして最後の最後でですから…。しかもその間、一生懸命終わらせるわけでもなく遊びに行ったりしていましたし…。そんな暇があったら片付け何とかしないかなあ?と不思議でなりません…。

僕はそれを先に見越してさっさと片付けたのに…。しかも何だかオフィスに色んな物が散乱してて…。本人曰く、「来年、シフトとかしに一回ぐらいはくるからその時に対処する」って…。そんなに上手く行くかな?とちょっと懐疑的です…。

ともあれ最後の方は一緒に住むのがかなりのストレスになりつつあったのでそれからようやく開放された気分です。二月からはまた一人暮らしですからようやく何だか平穏な生活が取り戻せるかな、と思ってます。

2017年12月11日 (月)

モントルーのクリスマスマーケット

ジュネーブのクリスマスは地味です。宗教革命の時代にカルヴァンの本拠地となったジュネーブはカルヴァンの教えの影響で質素で倹約が未だに生活に結びついているのでジュネーブのクリスマスは本当に地味です。一応、駅の方にマーケットのようなものがないわけではないのですが少しお店がある、という程度なのです。

しかしやはりヨーロッパのクリスマスと言うとクリスマスマーケットを考えてしまいます。ドイツのクリスマスマーケットは有名ですが実はスイスでも行く所に行けばちゃんと盛り上がっています。当たり前にドイツ語圏が多いですが、それでも以前、2009年のクリスマス頃にCERNにいた時にはクリスマスにはどこにも行かなかったのでその時に一度、スイスのフランス語圏では一番大きなモントルークリスマスマーケットまで行ってきました。そういう話を日本人の学生の子たちとしていたら行きたい、というので先日、モントルーのクリスマスマーケットまで行く事にしました。

調べてみたらなんと、この時期にはモントルー近くのシヨン城でもクリスマスマーケットに合わせたイベントとして中世の格好をした人たちがボランティア(なのか?)でいるとの事。シヨン城は僕は前にも行っていますがそういう事をしている時期には行った事がないし学生たちは誰も行った事がないのでではシヨン城にまず行ってそれから、という事に。

行くのはまあ当然の様に週末。週末でもどの日に行くか?という事もありましたが結局、お店がどこも閉まっていてすることがそもそもあまりない日曜日に行く事にしました。クリスマスマーケットもシヨン城も日曜日でもちゃんと営業していますがジュネーブの街は基本的にはどこも開いていませんからね。

色々と調べて結局、3日の昼過ぎにCERNを出て一路、モントルーまで。モントルーでバスに乗り換えてまずはシヨン城へ。

Chillon1

僕は以前、二度ぐらい来た事があるのですが最初に来た時にどうやって誰と来たのかさっぱり記憶にないです…。二度目に来たのは2011年の1月。その時期にはもう中世の服装をした人たちが、という事はなかったです。

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中世のイベントが行われていたので城内はかなり人が来ていました。まあ日曜日で他に何もする事がないのもあったのかもしれません。

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さてシヨン城を後にしてバスに揺られて十分ほどでモントルーに戻ります。行く数日前に雪が降った事もありこの日も夜は寒かったのでまずはヴァン・ショー、ホットワインから。とりあえず身体を温めます。

Vinchaud
それから次に夕食。幸い、マーケットでは食べるところも沢山です。食べたところで次はお店を見てまわります。

Market_map

マーケットは湖畔にあります。だから湖畔ではこのように何やら光るものが浮かんでいました。

Lake

そしてほど近くにはフレディ・マーキュリーの銅像が。

Mercury

他にもクリスマス用にあちこちで雪だるまとかがいたりホテルにもいろんなものが投影されていたりしていました。

Snowman
Hotel
マーケットはこんな感じです。

Market1
Candy1
Candy2

マーケットでの任務は「クリスマス用のオーナメントを買って来る事」なので色々と探してみました。そこで見たのがこのお店。

Glass

もともとガラス細工を少しできるので興味もあり、小さいのをいくつかこのお店で購入。全部、手作りだとか。他にも別のお店でセットのオーナメントを購入。全てなんとか無事に金沢まで持ち帰らないといけませんがそれはまた別のお話。

学生たちも楽しんでくれて寒いながらも楽しい日曜日でした。

2017年12月 3日 (日)

エスプレッソマシーン

コーヒーが大好きです。特に以前、2009年にCERNに来てからはエスプレッソが大好き。いや、もともとエスプレッソが好きでしたがこの辺りでは一般にcafeと言えばエスプレッソが標準なので飲む機会も自動的に増えます。そのあたりの話は随分と前に書いています。

もちろん、今回もヨーロッパに来る時になってHandpressoを持って来ました。ただ初代のはやはり古くなってきたのかあまり圧力を保持しなくてたいへんだしESEしか使えないので二年ほど前に新しいのを買いました。今回はESEでも使えるし粉も詰められる現行の物。やってきた時にすぐに使える様にある程度の数のESEポッドを持って来ました。

その後、ひと月ほどはスーパーで買った普通の粉を自分で詰めていたのですがそれからしばらくしてESEポッドが売っていないのかを調べたら何と、CERNからそれほど遠くないCafés Trotettというお店で自家製のESEがあることを知ってある日、買いに言ってみました。驚いた事にそのコーヒーがこれまで使っていたLavazzaのESEよりも美味しい!それ以来、ずっとスイスではTrotettのコーヒーを使っています。

さてそうこうしているうちにアメリカに戻らない事を決意した僕。ある日、ふと「ヨーロッパに転職したら新しいエスプレッソマシーンを買おう」と決めました。どうしてか?何の事はない、ある時、Trotettに行った時に見たこれが欲しくなったのですよ。

で、調べてみたらアメリカにも日本にもあるメーカー。でもアメリカで売ってるのとモデル名が違う…。よく調べたら電圧が合わないのでヨーロッパで買ったらアメリカでは使えません。まあそれならどうせ転職すると思うから転職が決まったら買おうか、と決めたのです。それが夏頃の話。

それから紆余曲折を経て先日、ようやく行って来ました、Trotettへ買いに。面白い事にTrotettってまあこのあたりではそこそこ知れてるコーヒーの問屋さんなんですが明らかにコーヒーメーカーは片手間に売ってる感があります。出荷場みたいな所の隅っこに小さなお店があるだけですから。所が何故かこの小さなお店で買うのがどこで買うよりも安いのです。フランスでは同じ物がスイスの家電量販店で同じ数字で、でもユーロで売られているみたいです。ここはスイスの量販店で買うよりも少し安い。どうしてそうなるのかサッパリわかりませんが近場に安いお店があるのでそこで買ってきました!

本当は黒いのが欲しかったのですが黒が品切れだったので白いのになりました。買った時にコーヒー豆もサービスで二パック付けてくれました。全自動モデルなのでコーヒーの豆と水さえ入れておけばあとはボタン一つでコーヒーができます。ヨーロッパではネスプレッソが大人気なのですがゴミが増えるし飲めるコーヒーも自分の好きなのを使えるそういうのが欲しかったのです。それにヨーロッパで仕事という事は自動的に給料が上がるという事で…。

せっかく買ってきたからには使いたい。で、家に持って帰る事も考えましたがでもよく考えたら家でよりも職場での方がコーヒーをよく飲む。だから引っ越すまでの限定でオフィスに一時的に設置しました。もちろん、箱もちゃんととってあるので来年早々に引っ越す時にはこれも一緒に南仏に行きます。

さてお店の人に勧められてコーヒーは二パック貰ってきました。本当は毎朝飲んでいるのと同じ豆になるEccellenza Espressoにしようか?と思ったのですがお店の人に勧められたのがこちら。結局、250グラムを一つづつ貰ってきました。

さてオフィスに持ってきてとりあえず設置です。水はこのあたりの水はかなり堅い水なのでその辺りを若干、考慮して一応、浄水器を通している水を使ってはいますがこれもおそらくそれほど違いがないのだろうなあ、と思われます…。まあそのあたりも考えてあってちゃんと水タンクにもJuraはフィルターがついていたりします。それでもたまにはカルシウム除去の為の薬品を使えという事が書いてありました。

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設定しながらわかったのは実は何と、コンセントの形がスイス式だという事。フランスのコンセントと微妙に違います。が、スイスとフランスの国境地帯に住んでいるのでそのあたりは準備万端。アダプターがあるので単純にそれを南仏では使う予定です。オフィスではもちろん、スイスなので問題はないですしね。

さて、お店に勧められて買ってみたコーヒーの豆なのですがこれが何となく渋い。僕はあまり渋いコーヒーは好きではないのでこの豆を買う事はもうないだろうなあ、と思いました。その後でいつも使っている豆と同じ物に切り替えたらやはり美味しい、と思いました。渋さもなく苦味があってクレマも沢山でて、と。やはりいつもの豆が一番ですね。

そうなると困るのが今度、南仏でどうしようか?なんですよね…。やっぱりもう一度、お店に行ってもっと好きな豆をいくつか買ってから行くのがいいのかなあ?しかし無くなったら後はどうすればいいのかな?それとも頼めばフランスにも送ってくれるのだろうか??悩ましい所です…。

2017年11月24日 (金)

感謝祭(2017年)

今日は感謝祭。当然の様にスイスで働いているので今日も普通に仕事。もっとも実際の所は仕事とは言っても自主性の高い仕事だしタイムカードもタイムシートもないのでかなり自由度があります。だから今日は早く帰る事に。

しかしだからと言って仕事がないわけではありません。だから今日はいつもより早い時間にオフィスに行く事にして昨夜は就寝。朝になって起きたらまあまだ早い時間には間に合うが少し遅めの時間。まずは昨夜仕込んでおいた七面鳥をひっくり返しておく事から。それによって昨夜のうちに染み込ませてあったブライン(塩水ですね)を反対側にも染み込ませるようにします。

それが終わってから今朝はコーヒーを自宅で飲まずにシャワーを浴びて出かける準備をして始発のバス(と言ってもいつもより30分早いだけ)に乗って通勤。実は時々、早く起きているとこの時間のバスに乗る事もあるのでそうそうビックリするほど早くはないです。

LHCの実験も今年はもうほぼ終了なので今さら別に何かあるわけでもなくしかももうすぐ南仏の研究所に引っ越すので今となってはそれほど仕事も舞い込んで来ません。それでもまあする事はあるししたい事もあるので普通に職場に向かいます。寝ている間に解析のデータが終了したのは自動メールで届いて知っていたので次のデータセットをオフィスに来てすぐにまた解析させ始めます。

先程も書いた様に今日は感謝祭なので七面鳥を買ってあります。スイス、フランスあたりの七面鳥はアメリカにあるのほど大きくはないので取り扱いも少し楽です。大きさとしては以前、対処した事のあるアヒル程度の大きさ。昨年焼いてみたガチョウよりも小さいから不可能ではないはず。

実はこの七面鳥を焼くというのは一つはルームメイトがアメリカ人だからです。このルームメイト、うちのグループのポスドクでここに来てまあ三年ぐらいなのですが…実は僕が七面鳥を焼こう、と言い出すまで七面鳥をフランス語でdindeと言う事を知らなかったらしいです…。だから「七面鳥を買う」と言ったら「え?でも売ってないんじゃない?」と言い出す始末…。いやいやいや、隣のスーパーでは一羽丸々では売ってないけど七面鳥の肉は売ってるよ?と教えたらそれまで七面鳥がdindeとは知らなかったらしいです…。まあ以前からぼーっとしてる所があるなあ、と思ったしフランス語もなんかわかってないなあ、と思ったら何と、そういう事だったらしいです…。

さて当日は二時過ぎに帰宅。帰ってみたら「世間的にはダメ人間」なルームメイトは起きていてどうやら昼食を食べ終わって片付けをしてる所。ぼやぼやしていてもどうにもならないのでまず冷蔵庫から七面鳥を取り出すます。案の定、冷蔵庫の奥の方にあった部分は一部凍っていました。冷蔵庫内でそれなりに温度差があるのですね。とりあえず七面鳥を取り出して水気を切りつつ、凍ってしまった部分を解凍したいのですが、なにやら手際が悪くなかなかシンクが空きません…。しかも話をしてる間は手を止める始末。痺れを切らして「手を止めないで」と言う事にしてようやくなんとかします。どうして先まで考えてくれないのだろう、まったく。

僕は鶏、アヒル、ウズラ昨年の今頃には更にはガチョウといろんな鳥を丸焼きした事がありますが七面鳥は初めて。どうしてか?だってアメリカの七面鳥って一番小さいのでも5キロ近くあるので一人では食べきれないからです。実はそういう大きな七面鳥は焼くのも少しむずかしいのです。なぜか?胸肉にはあまり油がなく乾燥してパサパサになりやすい。でもちゃんと焼かないと足の方がダメ。若干小さい方が焼きやすいというのも知っていました。

とりあえず凍った部分が解凍するのを待ちながらその間にスーパーへちょっと買物へ。そこで温度計やアルミのトレーなどを買ってからオーブンを予熱して焼き始めます。この大きさなら220℃ぐらいで三時間程度だなあ、とか思いつつ予熱の終わったオーブンへ。

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待つこと二時間程度。状態を一度確認。まだ太ももの温度がちょっと低いのでもう少しオーブンで調理。この手のオーブン調理物って実は下処理をちゃんとしておけばあとは温度管理だけなので実はそれほど難しくはないです。特にこの七面鳥の場合はあの料理が上手くないアメリカ人がなんとかこなせるのでそれほど難しいわけがないのですよね。

さて待っている間にジャガイモの皮を剥き、茹でてからバターや塩、牛乳などを加えてマッシュポテトを作ります。マッシュポテトのマッシャーがないのであまり出来はよくないですがまあしかたがないです、そればかりは。ある道具でなんとかしなければなりませんから。ルームメイトもようやくその段階で重い腰を上げてサツマイモを作り始めるのですが、何と、電子レンジという暴挙に出てきて…。何やら電子レンジで20分ぐらい加熱してました…。それでもまだサツマイモが柔らかくならず、最終的に中に一緒に入れてあった水を除いて加熱するように言ったらようやくなんとかなったみたいでした…。しかしこのサツマイモを炊いたものが美味しくなかったのは言うまでもないです…。ルームメイトがスタッフィングが嫌いというのでスタッフィングも作りませんでしたしね…一人分で作るのも面倒くさいしなあ。しかもアメリカと違ってスタッフィングの元が売っているわけではないから全部手作りだと。

そうこうするうちに七面鳥が焼きあがりました。

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少し焼きすぎかなあ?と心配しましたが問題なく美味しく出来上がってました!胸肉も乾燥していなくてちゃんと味もついていて!二人で3キロの七面鳥はやはりちょっと大きすぎて結局、半分ぐらいは残ってしまいました。残ったのは食べられる所を剥がしてタッパに入れて冷蔵庫に保存。週末いっぱいまでは七面鳥だらけになりそうです。笑。

来年は南仏で一人だから感謝祭の当日に七面鳥を調理する事もないだろうなあ、と思います。でも来年はちゃんとした調理道具もあるからなあ(今の所はいろんな意味で仮住まいなのでちゃんとした調理道具がないのです)。でもそういうのと関係無しに七面鳥を焼くというのもありなのかな?このぐらいの大きさの七面鳥だともう一人、二人いたらなんとかなるなあ、とそう思う2017年の感謝祭でした。

2017年11月23日 (木)

各国(なのか?)の面接の違い

この前の記事で書いた様に転職をする事になりました。最終的に僕は三つの求人に応募する事になってそのうちの二つ目の所に採用される事になりました。そこでいくつか面白い事に気がつきました。今回はそのお話。

アメリカで求人をする時に面接をする側としてはいくつかのルールがあります。まずこちらからは結婚してるか、独身か、子供がいるか、とかそういう家族構成に関してはまったく聞いてはいけません。向こうから勝手に情報を提供してくれるのは構いませんがこちらから聞く事はできません。他にも宗教は何であるとかもダメ。候補者の性的指向(ノーマルなのかゲイなのかはたまたバイセクシュアルなのかとか)を聞くのはもってのほか。それらは個人情報になるし仕事に関係がないであろう事であるだろうしまたその情報を元に差別が生まれる可能性があるから絶対に聞いてはならない事です。もちろん、面接される側が教えてくれるのは大丈夫ですが面接する方が聞いてはならない事です。

アメリカはそういうあたりが良くも悪くも徹底してるので面接をする事になったら必ずそういう事を守って面接をして、と誰かに言われる事になります。

僕がちゃんとした面接を受けた所は三つ。非公式に求人が近々あるかもしれない、という所とあと三つぐらい十月の学会中にしています。その非公式に求人があるから、とお話をしたヨーロッパのある研究所の方には家族構成を聞かれました。まあそうそう秘密でも何でもないので独身だ、とは教えましたがこれもおそらくアメリカではアウト。

実際に面接に言ったオックスフォードのある施設では性的指向、宗教、家族構成などを求人の応募フォームに記入する様になってました。これはアメリカでは完全にアウト。口頭で聞くのがアウトなのに文書として残すのはもう問題外のレベル。しかしイギリスでは認められているみたいです。

また実際に面接をした三つの所のうちこのイギリスの施設からはまったく人事部の人が関与していませんでした。単純に候補者の能力だけで判断していたみたいです。他の二つの所では人事部の人にも色々と聞かれました。PSIに至っては一時間ほど、人事の人と面談まであって色々と聞かれました。

それを言えば更にはPSIとイギリスの施設は実際に面接に呼ばれましたが実際に採用された南仏の研究所では遠隔面接のみ。それもたったの45分程度。それも拍子抜けですよね。たったそれだけの時間で判断するのか?って!他の二ヶ所は現地に行って少なくとも一時間以上は色々と聞かれて、だったのに!実はその関係上、その南仏の実際に採用された所は未だに行っていません。一月末に赴任する時に初めて行く事になりそうです。それも変といえば変な話ですよね。

イギリスの研究所ではかなり難しい質問をされました。ここは明らかに実力者を探しているのだな、と思いました。他の所では僕の経歴を履歴書で読んで僕に具体的にどういう事をしたかを聞いて、だったのですけどね。

イギリスの研究所は人事の関与がなかった為なのかとうとう最後まで福利厚生の話は出ませんでした。一応、電話での一次面接の時に尋ねてみたら事務の人に聞いてくれ、と言われました。そういう事はどうでもいいと思っているのかどうなのか?ちょっと不思議でした。だって給料や仕事内容以外でも福利厚生は採用されて受けるかどうかを左右する事の一つになりますからね…。それどころかアメリカでは面接の時に必ず聞いた方がいい、と言われる事の一つなのですけど…(福利厚生を知りたいという人は採用されたら来る可能性が高いと思われるらしいです)。特にそこの場合はまったく福利厚生の情報がどこにも無くてこれは聞いた方がいいなあ、と思ったらその対応でしたからね…。

他にも給料がいくらぐらい欲しいかの希望を聞かれました。聞かれなかったのは南仏だけ。イギリスは求人案内にどのぐらいの給料が出るのか書いてあったにもかかわらず、どのぐらい欲しいかを聞かれました。PSIに至っては給料がどのぐらいかすらも書かれていませんでした。イギリスの方はしかしそもそもポンドの実際の価値もオックスフォードで生活費がどのぐらいかかるのかすらわからないので提示されていた給料が高いのか低いのかすらわからない状態でした。イギリス人の友人に聞いてみたら「まあ妥当」なレベルだったらしいです。まあもっとも、アメリカの中西部のカトリック系の私立大学の職員からするとだいたいどこに行っても給料が上がるだろう、とほぼ考えていいですからね…。そう思うとある意味、どうでもいい事ではありました。それなりの給料でさえあれば何でもいいのですから単純なものです。

結果が出るまでも面白いな、と思いました。PSIは結果が出るまで何と二ヶ月かかりました。まあ先に結果が出るまで時間がしばらくかかるよ、とは言われていたのでそれほど気にしませんでしたしそもそも小手調べ程度に最初は思っていたのですがまさか二ヶ月かかるとは!でした。その不採用のメールを何度か読み返して思ったのはもしかしたら二番手で僅差で不採用だったのでは?という事でした。後に十月にバルセロナであった学会の時にPSIの人たち聞いたのですがどうやら実際にそうだったらしく、最後の最後までみんなで色々と議論して内部の候補者に流れたそうです。まああと一歩で足りなかったという事ですね。

もう一つのオックスフォードの研究所の方はそのバルセロナの学会中に向こうから何かを言ってくるか?と思ったら何にもなし。だから書類で落とされたか?と思っていましたがジュネーブに帰ってきてから程なく、翌週に電話面接をしたいとの事。電話面接で想像外の難しい質問をされてこれはダメだったなあ、と思ったら翌日、二次面接に来てくれ、との事。それからイギリスに行く準備をしてはるばる行く事に。

まあその二次面接の二日前に南仏からの採用通知が出ていたのでもしもの為の確認に行っただけで最初から受ける気はさらさらなかったのですけどね。現地でもやはり難しい質問をされて若干、しどろもどろ。でももう大本命の南仏のオファーがあったのでそれなりの出来でいいや、と思っていましたからなんとか終了。どのぐらいで結果が出るか?と聞いたら一週間ぐらいかかるだろう、との話。もちろん、それまでに南仏のオファーに返事をしなければならないのでこれまたどうでもいい話だなあ、と思いつつジュネーブに翌日の午後に帰還。

所がそれから結局、三週間近くしてから不採用通知が来ました。おそらくまずオファーが誰かに行ってその人が二週間ぐらい考えたからではないかなあ?と思われます。つまりここも二番手だったのではないかな?と。問題外の候補者だったらきっと早々に不採用通知が届いていたのではないかな?と思います。まあ実際にどうだったのかわかりませんけどね。

2017年11月22日 (水)

近況(2017年11月)

すっかり放置状態になっているこのブログ。実はしばらく前から何度かアップデートしようか、とは思いながら諸般の事情で延ばし延ばしになっていました。実はこれにはれっきとした理由があります。何かって?実は来年の一月末で大学を辞めて南フランスの研究所で勤め始める事が決まったからです。というかもっと具体的には転職先をずっと探していてその間は書きたくても秘密漏洩を恐れてあえて書かなかったのです。

その前に少しだけこの一年ほどの状況を説明しておきますね。実は諸般の事情で今年(2017年)の二月からずっとCERNに来ています。五月には日本で学会があったのでそちらにも参加。そのあたりにふとある日、メールリスト経由で見たのがスイスのPSI、パウル・シェラー研究所の制御グループの求人。もともと、近年になってから大学の方針や学部内の協調性のなさや僕に対する理解度の不足などから不満をかなり抱えていたので転職してもいいかもしれないか?と思いはじめていたのです。

更にはそれほど優秀とはどう考えても思えなかった元ポスドクが現在、BNLのNSLS-IIの制御グループで働いているという事実もあり、「あいつにできて自分にできないわけがない」と思っていたのもあります。他にもアメリカが国として変な方向に進みつつある事実などもあり、それならいっその事アメリカ以外で仕事を探してみるのも悪くはないなあ、と思うようになったのです。

性格が性格なので善は急げで大阪にいる間に手元にあった履歴書の手直しをして適当にカバーレターを作成して送っておきました。たまたまその求人の責任者が面識のある方だったし更にPSIに数名の知り合いもいるしまたPSIで開発されたツールをけっこう多く使っていたのもあります。

その時は「まあとりあえず出してみて小手試しだなあ」ぐらいにしか考えていませんでしたがそれからCERNに戻ってひと月ほどしたある日、メールで「面接に来てくれ」といきなり言われたのでPSIのあるフィリゲンという村まで行って来ました。

結果的に面接その物はすごくいい感じでしたが採用まではいたらず、でした。結果が出るのを待つ間に「アメリカに戻らない」という決意を固めたのです。だから不採用通知が届いてからふと見かけたのがこの南仏の仕事。実はその数週間前にやはり同じメールリストで届いていたメールなのですがすっかり忘れていたメールです。ここでは可能性が低いだろうけどなあ、と思いつつ、PSIに提出したのをまた手直しして送る事に。

さてどうなるかな、と思っていたらなんと翌週ぐらいに日本の事務局の方から連絡が来てスカイプ経由で話をする事に。どうやら日本も参加している国際研究所なので各国の事務局からノミネートされないといけないかららしいです。そういうシステムになっている事を知らなかったからビックリ仰天しました。日本の事務局の方の指示に従って履歴書などを多少手直しして締切に間に合う様に提出。

それから三週間ぐらいしてから遠隔面接をしたい、との連絡が届き、面接を受ける事に。しかしそれが何とバルセロナでの学会の最終日の朝。まあ遠隔面接なので行かなくてもいいからホテルから面接をする事に。最悪、電話で音声は、との事で電話番号も教えてくれと言われたのでバルセロナに入ってすぐにスペインのプリペイドSIMも購入。最悪、スペインの番号にかけてもらう事にしました。

面接はなかなか難しくそれなりに緊張しましたがなんとか無事終了。それから三週間ほどしてからメールが届き、何と、僕が応募した仕事には不採用だけどこっちなら採用するよ、という内容での不採用通知と採用通知が一緒になった何やらちょっと不思議なメールでした。たまたまその週には別の所に面接に行く予定が入っていたのでその別の所に面接に行ってとりあえず見てきてからやっぱり南仏の研究所に行く事に決定。その旨のメールを送信。少々、メールをやり取りして二月からそちらに行く予定で話がまとまりました。

それから一週間ほどしてからアメリカの大学の方にも一月末で辞めるから、とメールで教えました。この数年、まったく大学、それも化学のボスから冷遇されているなあ、と思っていましたが後で元同僚のM先生から聞いた話ですが何と、この秋学期になって僕が実験室の分析計を調整していないからボスもその作業に追われてすごく忙しいらしく、今頃になってようやくどれだけ僕が忙しく、沢山仕事をしていたか、がわかってきたらしいです。実はそうなるだろうなあ、とは思っていましたししてやったりとも思いました。引き止められるかな?何を言われるかな?とちょっと心配でしたが結局、問題がなく何にも言われませんでした。また辞めると言った段階で給料も切られるかな?とも思いましたが一月分もちゃんと出るみたいです。まあ今さら何を言われてもどうにもならない状態になってから教えましたからね〜。

ともあれ、こうして無事に南仏に転職が決まりました。十二月の半ばからはひと月ぐらいは日本です。その間にフランスのビザの取得です。それから一月にはアメリカに荷物の整理をしに一週間程度。それからジュネーブに戻って数日して今度は南仏に行くといろいろとしばらくはバタバタする事になりそうです…。

2016年4月13日 (水)

iPhone SE

iPhone SEを買いました。2011年頃の頭からずっとiPhoneを使っていますがこのしばらくはiPhone 6を使っています。その時にも書いていますがそもそも大きなスマホがあまり好きではありません。一年半ちょっと使って結局、馴れはしたけどどうしても気になる、というさなかでiPhone SEが発表されました。発表された時は仕事の関係でどうしても時間が取れず、後になってから発表された内容を読んで「これは!」と思いました。基本的にはiPhone 6sの小型版。僕が二年前に欲しかった物です。値段もお手頃なので数日考えて結局、購入する事に。

問題は今回は今月の半ばから三週間程CERNに出張に行くという事。だったらできればその前に欲しい、との事で結局、予約開始日に注文する事に。予約開始は木曜日の午前二時からなので水曜日の夜は八時半頃に就寝。二時前に目覚ましで起きてそれからパソコンとスマホの両方で二時に予約を入れる準備をします。最終的にはiPhone 6からアップルストアのアプリ経由で購入。ウェブストアでは買えずにアプリでは買える事がある、という記事を寝る前にたまたま読んでいたのですがそれでもちょっとビックリしました。どうも仕組みに若干の違いがある様です。

一月にMacBook Proを買った時はFedExで送られて来たので今回もそうであろう。だったら前回の様にFedExの二十四時間営業の所に配達してもらってそこで回収しよう、と思っていたのですが実際には配達はUPS。UPSだとちょっと不都合です…。結局、一日程散々迷った末に家に置いておく様にしてもらいました。その代わりに配達と同時にメール、SMSの両方で連絡が来る様にして起きました。

実際に到着したのは午後二時半すぎ。その段階で一度家にすぐ戻ってiPhoneを回収してきました。実際に使い始めたのはその日の夕方から。第一印象は「やはりこの大きさがちょうどいい」と「速い!」でした。それからしばらく使ってやはりこの大きさがちょうどだなあ、と思っています。

その反面、これまで使っていたiPhone 6に馴れてしまったのでまた覚えなおさなければならない事が一つ。スリープボタンがiPhone 6では右側にあったのがまた上になったのでそれをふとした瞬間に間違える事もあります。しかしiPhone 6の時でも時々、スリープボタンを上側と間違える事もあったのも事実。そう考えるとまあ変わらないともいえます。どちらにしても一週間ちょっと使ったら馴れてきました。

僕は元々にして大きなスマホに懐疑的だったしあまり気に入っていませんでしたが実際にこうして元の大きさに戻ってみて本当にこのぐらいが一番いい大きさだなあ、と再認識しました。十分に性能はいいし大きさもちょうどいいぐらい。iPhone Plusを使っている人の気がしれない、とさえ思います。

この数年のアップルのあり方はデザイン重視で本当にユーザーの事を考えているのか?と思う点がいくつもあるのですがここに来てその不安を少し拭ってくれる様なそんなiPhone SEだと思います。

2016年3月20日 (日)

停電

ちょっと話は前後してこれは出張の前の週の火曜日の話です。たまたまポスドクのA君がBNLにしばらく来る事になった事に関連した事をS先生と話をしないとなあ、と思ってS先生のオフィスの前でパソコン片手に仕事をしていたら突然、廊下の照明が全部消えました。その場所の照明が全部消えるはずがないはずなのにもかかわらず、です。防犯や安全関係の問題で廊下の照明はいくつかは点きっぱなしで消すことができないはずなのですが…。ブレーカーでも落ちたのか?と思って近所の別の先生に聞いてみたら電気が全くない、との事。

その段階でブレーカーどころではなくどうも停電らしい、と判断をしました。ところがおかしな事に一部では照明がちゃんと機能しています。おかしいなあ、と思いながら実験室の分析計が心配なので実験室に向かいます。実験室もやはり同じ状態で電源が入る物と入らない物が混在している状態。どういう事?と思っていたらその直後に今度は照明がちらつく様になりまた電源が入っている分析計のディスプレイもちらつく様になり始めました。電圧が安定しない状態になっていたのでこれはまずい、とのことで分析計の電源をすべて落として対処。それが終わって今度は分析天秤もおかしいので電源を落としてコンセントを抜いて、さらにもうひとつの実験室にある自動滴定装置も電源を落として、とやっていたら今度は完全に電気供給が停止…。停電してしまいました。

どういう事?と思いながら聞いてみたらどうも建物の停電どころではなくキャンパスの少なくとも半分が停電らしい、との事。一部にはディーゼル発電で電力が供給されるはずの非常電源があるのですがそれらも機能していない状態。それこそがどういう事?という状態。非常電源が機能し始めるまでにそれから数時間。教室も真っ暗なので授業もできない状態。

結局、午後になってから一部の照明が回復した物のコンセントはディーゼル発電機に繋がっている非常電源以外は使えないまま。非常電源に薬品の冷蔵庫と冷凍庫を繋いでまわってようやくすべてが終了したのが五時半すぎ。電気の復旧のめどが立たないまま、キャンパスの数カ所で巨大な移動式の発電機が設置されて始めていました。それを見た時に「これはしばらく停電したままだな」との判断をしました。

その段階で判明したのがキャンパス全体に電力供給していた二本の高圧線の一つがまずショート。それで半分がやられてもう一本に負荷がかかったのでそちらもしばらくしてからショートしてしまったのが原因らしい、と設備の人から教えてもらいました。それではさすがに問題があるので翌朝までの予定で移動式の発電機からキャンパスに電力を仮にでも供給しようと設置されている事を教えてもらいます。

うちの大学にきてこれで随分になりますがなんとこういう事があるのだなあ、と呆れるやら関心するやら…。おかげでその日はとても過酷な一日でした。特に冷蔵庫と冷凍庫は僕が何とかしなかったらどうするつもりだったの?と思うぐらい。中には停電がしばらく続くとわかったらすぐに帰ってしまった人もいるぐらい。自分の実験室の冷蔵庫や冷凍庫の対処もせずに、です…。

結局、電力が戻ったのは夜の十二時ちょっと前。電力が戻り次第、僕のiPhoneに様々な方法で通知が来る様に設定してから帰ったので夜中に一度、たたき起こされました。翌朝に聞いた話ではその段階ではまだキャンパスは電力会社から電力の供給はされていなくてすべての電力は発電機から供給されている、との事。前日の夜に設備の人から聞いた話と同じです。

ところがその日の朝の九時半にまた停電。結局、三、四十分程停電していました。僕は発電機からの供給が電力需要に追いつかないからなのか?と思っていたら発電機の燃料が切れたから発電機が停止したという嘘みたいな話が原因と聞いてこれまた呆れてものも言えませんでした…。いったいどうしたらそんな馬鹿みたいな事があるの、それも発電機の周りでずっとみんな作業をしていて?と思ってしまいました。

さてその段階で電力会社から送電されてはいないのでそのうちに計画停電があって切り替えるのだろうなあ、と思われたので分析計はすべて電源を落としたまま。そもそもの予定では電力が戻るまでは立ち上げない予定でしたが金曜日の午後になってから「春休みの間に学生が質量分析器を研究で使いたいから」との事で頼まれる事に。僕はあまり乗り気ではなかったのですが渋々、そうする事に。土曜日の朝の段階では真空引きもよく全く問題がない状態だったのですが土曜日の午後になってからまた停電…。それも何度も。ほとんど予告無しに大学が電力会社からの電力供給に切り替える事にしたらしいです。もちろん、その段階で質量分析器は停止。仕方がないから「停電で無理」と依頼の来た先生にメールで返信をして諦める事に。その日の夕方にはBNLに行く予定になっていたのでもう手の尽くし様がありませんでした。

その後も結局、何度か停電の影響が春休みの間にあった様で春休みから一週間たった今でもいろいろな問題が見つかっています。まだまだしばらくは停電の影響でやられたものがあるのだろうなあ、と思われます…。電力がないと本当に仕事にならんなあ、と思うそういう一週間でした。ちなみに電力は電力会社から供給はされていますが未だに仮接続になっているとか。いったいいつになったらちゃんと接続されるの?といろいろと考えてしまうこの頃です。

出張(2016年3月 その2)

* 一週間遅れでこの記事は書いています。

今回の出張の最大の理由はポスドクのC君からA君への切り替えの補助と学生の面倒をみる事でした。で、成功したのか?となります。結論から言えば大成功と言えるかと思います。A君に教えられる事をすべて教えてさらに学生のS君も予定していた事をほぼすべて終了。またA君はBNLに駐留しながらもCERNの実験の仕事をするのでそちらの方も同時に教えるという事も土曜日にしてともあれ無事に出張の項目をすべて終了させる事ができました。

もちろん、出張に行ってすべての事が順調に進むわけでもありません。BNLに到着してからその日はすぐに就寝。翌日の日曜日の午後にまずA君をJFK空港まで迎えに行き、その足ですぐにLGA空港に向かって今度は学生のS君とM君を回収します。たまたま到着時間がちょうどいいぐらいずれていたからできた芸当です。それから一路、BNLへ帰還します。

月曜日は朝一番でまずはBNLにやってきたという登録をしてそれから実験場へ向かいます。それから仕事。夕方にボスを駅まで迎えに行ってそれから少し仕事をしてその日は近所で夕食を食べて宿舎へ帰還。火曜日からは毎日、みっちりと仕事です。

出張期間に一番の問題があったのは金曜日の午後の話。昼食後、実験場に戻ってきたら検出器の制御に使われている組み込みコンピューターを再起動させたら再起動できないとの事。しばらく右往左往してからどうもこれは制御系統に問題があるのではなくコンピューターのセキュリティの設定の問題らしい、とそのうちに判明。幸い、STAR実験のコンピューターのエキスパートが手近にいたので事情を説明したら割と簡単に復旧。その後、一時間程してから再び同じ問題が発生して根本的に直さなければならない、との事。その旨を翌日のミーティングで報告する事を約束してその場は何とか解決。それでも一時間以上は実験が停止したので申し訳ない、と思ったのですが後で「もっと何時間も停止すると思っていた」とシフトリーダーから教えてもらってちょっとホッとしました。

土曜日の昼前にその報告などを兼ねて実験場に行っていたら同じ組み込みコンピューターがまた再起動しないとの事…。今回は症状が違うという事で見てみたら前日よりももっと早い段階で再起動できなくなっていました。これは再起動ではなく電源を完全に一度落としてからまた電源を入れる必要があるな、と思ったら電源を落とす事ができません。電源の制御ができなくなっていたのです。電源はすべてフィールドバスで繋がっているのでそのコントローラーを再起動する必要性があるな、と判断をしてコントローラーを再起動。それが終了してからようやく電源を落としてまた立ち上げてようやく復旧しました。こちらはたまに起こる想定内の事だったので無事解決です。

後は夜中に緊急呼び出しもなかったしまあよかったなあ、と思います。僕は制御のエキスパートとして現地にいた事は期間としてはそれほど長くはありませんが何年も関わっているのでだいたいの見当はつきます。だから土曜日の問題は見た時に「ああ、こういう事か」と見当がついたのですぐに解決させる事ができました。こればかりは経験なのでどうしようもない事ではあります…。

その夜は行きつけの日本食レストランへポスドクのA君を連れてお寿司を食べに行ってきました。A君は「ちゃんとしたお寿司を食べるのは初めて」との事。貧乏学生だった時代が長いからそもそも外食をしないので、との事です。

その後でふと思ってオマハまで帰る飛行機の座席を確認する事に。最近は大学の政治的な事情で自分で航空券を買う事ができず、旅行会社を通して買わなければならないのですが「窓際にして下さい」と指定しても何故か通路側になっている事が多いので確認をしておきます。当然、航空券を買ったすぐにチェックをして変更できるならば変更するのですが帰りの便だけは満席で変更ができなくなっていたのです。が、何故か空いている窓際の席があったので空いているうちに変更しておきました。直前だと意外にできる物なのだなあ、と思いました。

最終日の日曜日は午前中に少しだけ実験場に行って仕事をして午後は宿舎付近をぶらぶらとする怠惰な日曜日でした。飛行機がLGA空港から夜の九時なのでBNL出発も四時過ぎで余裕。結局、四時半に出発しました。

LGAまでは途中で渋滞があったりして到着したのは六時過ぎ。まあまあの時間です。セキュリティを通過してからまずは夕食。散々考えた末に結局、少しはいいものを食べたいと思ったので空港のレストランに入りました。最近は若い頃と違って少し良い物を食べられる時に食べよう、と思うようになってきたので時々、そういう事をします。メニューを見たら前菜にエスカルゴに鴨のコンフィがあったのでそちらを注文。安くはなかったですが美味しかったです。

オマハまでの飛行機は満席。満席どころかオーバーブッキングされていて「千ドルで明日の飛行機にする人」の斡旋をしていました。一瞬、僕もやろうかな?と思ったのですが仕事に行かないわけにはいかないので(まあ何とかなるといえばなるのですけど)やめておきました。これが土曜日の夜の便だったらきっとやっていたなあ、とは思いましたけど…。

今回はオマハまでの直通だったので乗り換えもなく楽といえば楽でした。飛行機が小さいので手荷物が入るのか?と思いましたが問題なく頭上の荷物入れに入りました。ある程度は早いもの勝ちですけどね、当然の様に。今回は荷物を減らせるだけ減らしたので預けずに手荷物だけ。そういう意味でも乗り換えがないのは楽といえば楽でした。

さてオマハには定刻に到着しました。今回は飛行機の時間の関係から僕の飛行機の三十分後にシカゴからオマハに到着するはずのボスが家まで送ってくれるはず予定になっていたのですがシカゴで飛行機の乗り換え時間が短いから別の誰かに僕を家まで送ってくれるとかどうとかいう話でした。オマハに到着するまでどうなったのか全くわからない状態でした。到着してみたら無事にシカゴーオマハ便に乗れそうとの事。しかし予定外の事態で手荷物を預ける事になったとの話。

結局、ボスの飛行機は予定通りに到着したのですがその後、預けた荷物が出てくるのに四十分以上待つ事になりそれから車を回収してだったので家に帰ったのは午前一時過ぎ。それから必要最低限の事をしてから寝て通常時間に起きたら結局寝たのはたったの三時間。翌日は眠くて辛い一日でした。その後も結局、寝不足が解消するのに一週間ぐらいかかった様な気がします。それでもともあれ無事にオマハに帰還です。

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