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2013年1月25日 (金)

教育と研究の狭間で

この数年、同僚のGM先生といろいろと話をする機会があります。面白い事に、この数年の間にGM先生は僕の事を友人扱いしている様で、おそらく学部で一番信頼をされている一人の様です。GM先生の一番の心配はこの先、うちの学部や大学がどうなるか?という事。本人曰く、「まあ私はこの先、数年しかないからね」とは言ってはいる物の心配はしている様です。

では具体的には何を心配しているのか?この数年の大学全体の傾向を見て明らかなのが教育よりも研究の方が重要視されてきているという事です。それは決して悪い事ではないのでしょうが、うちの大学は教育系の大学であり、研究系の大学ではないのでGM先生などが不安になるのもわかるような気がします。研究重視の職員が多くなるにつれて本職であるべきの教育がおろそかになりつつあるのではないか?という懸念があるからです。研究でもいろいろなレベルでできる事もありますが、本当に研究重視だとそちらに目が行ってしまうのではないか?と不安になっている様です。

研究でも学生が学びながら研究をしていく、という形もあります。そういう研究では学会での発表や論文といった形の結果を重視するのではなく、学生が何を学んだか、を重視する形になります。しかし、この手の研究は自分でやっている分にはかまいませんが、外部の人たちと共同研究をしたりする事はやはり難しく、また外部からの助成金が出にくいのでなかなかそういう研究をする人はそうそう見かけません。やはり、外部から助成金をもらって他の大学や学部の人たちと共同研究、という形の研究をする人が多くなります。大学の方でも、そういう研究の助成金の半分程度は大学に運営費として来るので外部からの研究助成金を少しでも多くもらってくれた方がいいわけです(これも変な話ですがそういうシステムなのです)。

また、その様に研究を重視している人たちの一部には研究は仕事なのである程度、研究をしている学生の数が増えたらその分だけ教える授業の数を減らして欲しい、という事も言っています。まあ確かにそれは間違ってはいないのでしょうが、でもそれができる程学部に人がいません。従って、現状のままではそれはそれで問題です。もっと言えば、GM先生などはそういう研究重視の人たち(の一部)は教える事がおろそかになっているのではないか?という心配もしているようです。

大学のミッションステートメントにはこの様に書かれています。

(前略)
Creighton exists for students and learning.
(中略)
Creighton faculty members conduct research to enhance teaching, to contribute to the betterment of society, and to discover new knowledge.
(後略)

つまり大学は学生の教育の為にあり、研究も教育をより深みのあるものにする為にする、とされています。確かに学生に研究をさせる限り、何らかの事を学生が学んで行く事は普通ですがしかし、それ以上の事も必要なのではないか?という気がします。まあこのあたりは授業を教える時に教科書の内容だけを教えるのではなく、そこから何か付加価値的な事を教える、という事にも繋がる所はあるのですが…。これは僕の私見ですが、一部の職員にはそういう事を研究にしても授業にしても考えていないのではないか?という人がいるような気がしてなりません。

もう一つの問題は研究に時間を取られているのでどのぐらい学生の助けをしてあげる事ができるか、という事です。ある先生は自分が教えていない時は一日中、研究室に隠れています。それはそれで少し問題がある様な気が僕にはしてなりません。三年生や四年生はともかくとして、一年生などは研究室がどこにあるのかを知らない場合がほとんどですからそれはそれで問題があるのでは?という気がしないでもありません…。

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