« 幼なじみとちょっと複雑な気持ち | トップページ | オマハのお土産とその準備 »

2013年6月 2日 (日)

公衆電話

十年以上前に日本に帰った時にまずは家に連絡をしようと思って公衆電話がなかなか見つからなくて困った事がありました。まあ一番確実なのは成田空港からかければよかったのですが成田エクスプレスの時間の関係で成田空港及びJR成田空港駅ではかけている時間がなく、東京駅からかける事になったのがそもそもの問題でした。広い東京駅の中でもなかなか電話が見つからないのです。結局、駅員さんに尋ねて公衆電話の場所を教えてもらう事になりました。その時は何年かぶりに日本に帰ったのでその間に携帯電話が発達して公衆電話が少なくなっている事を知らずにいたのでそうなりました。その頃はまだアメリカではそれほど携帯電話がまだ普及していなくて同僚の中で携帯電話を持っているのはほんの数人、という程度でした(当時は僕もまだ持っていませんでした)。その後、アメリカでも携帯電話が普及し始めるにつれてだんだんと公衆電話を見かける事がなくなりました。

先日、その様な話を友人としていてふと思ったのが果たしてキャンパスに公衆電話があるか?という事。僕が学生だった頃は寮のロビーにどの寮に行っても公衆電話がありました。また図書館の入り口にも公衆電話があったりもしましたし所どころに公衆電話があったものです。では今はどうなっているのか?実は僕の知る限りでは公衆電話はキャンパスには存在していません。少なくとも僕の知っている公衆電話があった所にはもう公衆電話が設置されていません。

Img_4156
この様な状態になっていて公衆電話が昔ここに設置されていたのはまあわかりますが知らない間に撤去されてしまいました(でもなぜか黒板があるのが面白い。僕が学生の頃は黒板がありませんでした)。

またオマハの街中でも公衆電話という物を見かけなくなってしまいました。そもそも、オマハの様なアメリカの田舎では公衆電話は電話ボックスに設置されている事はなくてだいたいこういう状態で所々に設置されているかどこかの店の中やすぐ外に設置されていました。

Outside_payphone1
実は僕はアメリカで電話ボックスが外に設置されているのを見た記憶が全くありません。少なくとも僕の行動範囲ではオマハには存在しない事は確実のようです。強いて言えばその昔、寮に住んでいた頃、寮のロビーの中にある公衆電話は電話ボックスの中に設置してあったぐらいか(なんだか意味がないなぁ)。

当然、アメリカで電話ボックスがなかったわけではないと思われますが(そうでもしないとスーパーマンが電話ボックスに入って、となりませんから)、いつの間にかなくなってしまった事は確かなようです。まあそれでも探せばあるらしく、こちらによると2011年頃にはまだマンハッタンには四つあるそうです。ちなみに最近のスーパーマンはどうやらビルの陰とか裏路地で着替えるらしいです(でもスーパーマンって着替えて脱いだ服はいったいどこに隠すのでしょうね?)。

アメリカでは一昔前までは歩道の一番車道よりに車道方向を向いて設置してある物を時々見かけた物です。これは車から降りなくても電話がかけられるようになっていたのです。まあ当然、そういう公衆電話にはボックスは無用。雨風を避ける程度の多いがついている程度でした。しかし車に乗ったまま電話をかけることが前提に設置されているので歩行者がかけるにはそもそも電話の設置位置が低く、さらに車道に立たなければいけないので不便な電話でした(一度、歩いている時に使った事があります)。こういう感じですね。

Road_side_payphone
この電話は駐車場の端に設置されているのですがこれが車道などにあると危なくてしかたがありません。まあ車から降りる事なくかけることができる、というのがいかにもアメリカらしいな、と思います。

少し調べて見たらこういうページを発見しました。オマハ(アメリカの他の都市もあります)の公衆電話のリストですね。しかし、このリスト、明らかにいくつか間違いがあります。まあおそらくこのリストそのものが古いからなのでしょうが例えばこちらによると(402) 346-9614という番号はうちの大学の図書館にある事になっていますが図書館の公衆電話は撤去されているので存在しません。他にも(402) 391-5047という番号は"Sushi Ichiban"という店にある、という事ですが実はその店、何年も前に移転して名前も変わってしまったので正しくない事は確実。他にもこのページには問題がいくつかある(例えばオマハの郵便番号は全部間違っているとか、いくつかはオマハではなくベルビューの住所だとか)のでいったいどこまで信用していいものか疑わしいページではあります。まあ確かにこの情報、このページの管理人が実際に確認したわけではないのでしょうが、でも間違いを教える方法もどこにも書いてありません。しかしまあよくこういうページがあるな、と少し感心はしてしまいます。

最後に僕が公衆電話を使ったのはいつか?多分、十年ぐらい前になるかと思います。十年前、2003年の一月の頭にアメリカに復帰した時、記憶が正しければその時、僕はノースウェスト航空の飛行機で関空からデトロイトまで飛びました。その時、デトロイトから電話で同僚の先生に電話をした記憶があります。多分それが最後。それからオマハに戻ってすぐに携帯電話を買ったのでそれ以来、公衆電話を必要だった事がないのですね。アメリカでは公衆電話から長距離に電話をかける時にはやはりテレカのようなカードを使った方が現金よりも便利なので空港の中の売店で確か買ったはずですがそのカード果たしてどこに行ってしまった事やら…。一度使っただけでそれから二度と使っていません。

アメリカのテレホンカードは日本の様に電話機に差し込んで、という事はせずにカードに書いてある番号を電話機から入力して、となるのでかなり使い勝手は悪い物です。アメリカにはいくつも電話会社があるので共通のカードや電話機などというのができないのでそういうシステムになったのだと思われます。ただ、利点としてはアメリカのテレカは理屈の上からは公衆電話以外でも使えるはずで、今でもその辺の店で売っているようです(主に低所得者とかの人が買うらしい)。そう言えば以前、たしか成田空港でもこの手のカードが自販機で売っていましたね。あれは海外に行く人が買うかもしれない、という事で売っているのでしょうね、おそらく。

確実なのは今のアメリカでは公衆電話はなかなか見つからないし(空港などを除く)、また料金も高いです。何しろ市内通話でだいたい50セント程度かかるのですから一回五十円です。アメリカでは固定電話だと市内通話は無料(基本料金だけ)なのでそれを考えるとエラく高い話です。携帯電話はその人のプランによってかなりばらつきがありますがそれでもそこまで高くはありません。聞いた話では電話会社が公衆電話を維持するのに料金がかかるからそれで料金が高いらしいですがしかしその値段では敬遠されるのでは?という気がするのですが…。

先月、イギリスに学会で行った時にロンドンやオックスフォードではまあ普通に公衆電話を見かけました。調べてみるとイギリスでは日本の様に人口どれだけに対してどのぐらいの公衆電話、という事が決まっているらしいです。多分、アメリカにはそういう規制はないのだと思います(アメリカでそれをやったら電話会社が猛反発をすると思う)が定かではありません。少し驚いたのがイギリスでは外の公衆電話の多くが未だに電話ボックスだという事。これは正直、少し新鮮でした。

記憶が正しければその昔、ドミニカ共和国に行った時、ドミニカはアメリカ式で公衆電話にはカバーがついている程度でした。まあああいう暑い国で電話ボックスというのはおそらく拷問に近い事になるからなのでしょうが…。何しろドミニカの家でガラス窓って普通はありえませんから(ほとんどの家の窓は開閉だけとかで風通りの為に作られています)。スイスやフランスではあまり公衆電話という物を見かけませんでした。それどころかCERNの宿舎では以前、公衆電話が設置してあったところからも撤去されていましたし…。そもそも、CERNの構内に公衆電話ってどこにあるのだろう?ジュネーブでは街中でたまに見かけました。当然、駅や空港には普通にありましたけど。

そういえばずいぶん昔に日本に行った時に父にたくさんテレカをもらいましたね。日本についたらまず電話を入れる、という理由で必要になるから、ともらったテレカをたくさんくれたのです。でも携帯がある今となっては使う事がまずない物ですね。まあ腐る物でもないので持ってはいますが…。最後に日本で公衆電話を使ったのは多分、2006年頃になるのかな?それからは何となく日本の携帯電話を持っていたり、SIMをレンタルしたり、SIMを持っているとかいう事がほとんどですから。

よく覚えているのが僕がつくばに住んでいた頃、ADSLをアパートに入れたくて当時持っていた携帯からNTTに電話をしたら固定電話からしか繋がらないらしく、結局、近所のスーパーまで行ってそこの公衆電話から電話をかける事になった事。なぜ?と思ったのを覚えています。またアメリカで最初にアパートに住んだ時も電話を入れようと思ったらこれまた電話をかけて、となったのを覚えています。実はその頃は既に電話会社は契約の窓口をなぜか持っていなくて電話で注文をする事になっていたのです。でも電話がないから電話の加入をするのに電話をかけなければならないのはどこかすごく間違っている気もします(でも今ではどうなっているのでしょうね?)。

ほかに公衆電話で覚えているのは高校生ぐらいの頃に人に聞かれたくない電話をするのに電話ボックスまで行った事。これも今となってはいい思い出ですね。でも何となく今の世の中のように携帯電話がこれだけ発達してしまったら何となく懐かしい思いもあります。すぐに誰とでも繋がる世の中にはない何かを失くしてしまったような気がしてなりません。少し公衆電話とはズレますが例えば僕は寺尾聰の「ダイヤルM」という曲は大好きです。

それも近年になってセルフカバーしたバージョンじゃなくて1981年のオリジナルのバージョンの最初の「おかけになった電話番号は現在使われておりません」と入っている所が好きです(まあこの回転ダイヤル式電話機の戻る音が入っているところも好きなのですが…)。今では携帯電話だろうなあ、と思うとなにかやはり違うのですね、このイメージと。僕は自分が昭和ノスタルジーだとは思いませんが何となく便利すぎる世の中ではなかなか味わえない何かが昔はあったな、という認識はあります。だからこれは、という大切な所と時には僕は今でもせめて絵はがきの一つを出したりもする様にはしています。これが年を重ねるという事なのかなあ?と考えてしまいますね。

« 幼なじみとちょっと複雑な気持ち | トップページ | オマハのお土産とその準備 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1537785/51875686

この記事へのトラックバック一覧です: 公衆電話:

« 幼なじみとちょっと複雑な気持ち | トップページ | オマハのお土産とその準備 »