« いじめられっ子とその後 | トップページ | 留学と文系、理系 »

2013年9月27日 (金)

文系か理系か

ご存知の通り日本の高校では普通、理系と文系とにある時(普通は二年生の始めから)から分けられる様になっています。ではアメリカではどうなっているのか?実はそういう考え方はまったくそもそも存在しません。日本語版Wikipeidaの「文系と理系」という記事にはこの様に書かれています。

日本においては、第2次・高等学校令(大正7年勅令第389号)の第8条に「高等学校高等科を分ちて文科及理科とす」(原文は片仮名)という規定があった。
    (中略)
    現代においても研究の最初の入り口である大学において、文系的と考えられている学問を専攻する学部・学科・課程と、または理系的と考えられている学問を専攻する学部・学科・課程とで、区分を異にした募集を行い、入学試験において異なった科目を課すことが多い。

また同じ記事には次の様にも書かれています。

しかしながら西欧圏では、学問分野は基本的に自然科学・人文科学・社会科学の3つに大別される。文系と理系は、日本の歴史的な事情によって形成された便宜的な分類である。実際に事物を深く学修・研究しようとすると、文系と理系という二者択一の区分法に、限界が見て取られることは多い。

つまり、文系、理系という捉え方は日本で特化された視点、という事が言えます。アメリカの高校では普通はそもそもがかなり純粋な単位制なので(日本の高校は単位制と学年制の併用)場合によっては例えば「高校で化学を取らなかった」とかいう事もありえます。実際、学生だった時、友人のある女の子は「五年ぶりに数学を取らなければならない」と言って心配していました(どうやら高校一年に相当する学年から数学を取った事がなかったらしい)。

その様に完全単位制なので考えようによっては文系、理系、という課目の選択もある程度はできるのだが実際の所はどの課目を取ったら楽か、もしくは有利か、という実利的な事もあったりする上にそもそもそういう概念がないのでないままに大学に進学する、という事がよく見られます。それはそれで特に問題はないのですがそういう学生であまり理数系の授業に向いていないとこれはこれで大問題と(われわれ大学職員から見ると)なります。

よく見かけるのがこういうパターン。うちの大学は(自称)「医学部志望」、「歯学部志望」、「薬学部志望」が多いので一年生でだいたいみんな一般化学を取ります。一般化学って実はそれほど数学の量が多くはないのですがそれでもまあ代数程度はできなくては問題があります。まあせいぜいで二次方程式、及び連立方程式を解ければまあなんとかなります(つまり日本の中学生程度の数学の能力だけでなんとかなるはずです)。ところがその程度の数学ができないから落ちこぼれる学生がまあそれなりにいるのです。近年でこそそういう学生をなんとかしよう、という配慮(というかこちらの勝手な都合)からSATなどの大学進学適性試験(日本で言えばセンター試験の様な物です)の数学の点数を元に一般化学の授業を取れるかどうかを決める、という事をしています。

ちなみにここで面白いのがアメリカ人の化学や物理学の出来の悪い学生の多くはそもそも問題から必要な情報を取り出す事ができない事に始まり、同時に取り出した情報から方程式を組み立てずに直接、数値を代入するという事をしている事にあります。日本だとまず問題を読んでそこから方程式を組み立てて消去できる物はすべて消去してから最後に数値を代入して解く、という事を普通はする様に習うと思うのですがどうもそうではないようですが、これは余談ですね、明らかに。

そうやって化学や他の理科の課目から落ちこぼれる学生たちは別に賢くないわけではありません。よくあるパターンが論理的に物を考える事ができないから、というだけです。そういう学生の多くは英文学とか歴史とかの課目でいい成績を取っていたりする、という事が往々にしてあったりもします。

他にも学生の中には化学や物理学を専攻としていながらもなぜかあまり論理的に物事を考える事ができない学生もいます。例えば数年前の物理学の大学院生。この人、宇宙線の観測をしていたのですがその関係であるとき、宇宙線の観測装置からの観測結果を州内のあちこちの高校と提携して情報を集める事をし始めよう、と思い立ちました。その観測結果をウェブサーバーにアップロードしてもらって、分析して、という事をしたかったのでウェブサーバーを立ち上げて…という事をしようとしたのはよかったのですがサーバーを立ち上げてその上でどうやってアップロードすればよいか、などという事は要するに物理学という学問からは直接関係のない事。アップロードされた情報を分析して結果を出すプログラムを書く事を最優先すればいいのにそういうインフラの(どちらかと言えば末節にあたる)事を優先し始めた、という事をし始めました。それも全く知識がなく、Linuxのインストールから始めて、という始末。それだけでは別に僕に取っては直接関係がないので痛くもかゆくもないのですが誰かからLinuxの近場のエキスパートは僕だ、と教えられたらしくしょっちゅう僕の所に来る始末…。二日程してからどうもおかしい、と思っていろいろ訊いてみたらそういう事でした。うちの物理学の大学院は修士のみの二年なのでそんなインフラの事まで考えている時間は基本的にはありません。しかもこの学生、その段階ですでに一年目が終了した段階。あと一年で終了しなければならない段階で直接物理学と関係のないインフラを心配する時間があるならまだその時に書きかけの分析結果を出すプログラムを書いた方がよろしくないか?と指摘をしてもずいぶん長い間、インフラの心配をしていた様です。

結局、いくら説明をしてもその学生、論理的に順序立てて考える能力が低いようでした。確かにその様な学生を化学や物理学でまあ見かけますがしかしまさか大学院生にまでいるとは思いもせず、ビックリしたのをよく覚えています。普通はそこまで論理的思考が低いとなかなかついて行く事ができないので大学院のレベルまで残れないのですけど…。

個人的には日本の様に早い時期に分けてしまう事はいろいろな問題がある事なのではないか?と思っています。僕の個人的なスタンスはこちらの記事に書かれている事に限りなく近いと思っています。

大学教育の過度の専門化はあまり好ましくないのではないかと疑問を持っている。前にもちょっとこのブログでふれたが、大学の教養学部の廃止は、結果的には間違った方向ではなかったかということを、私は感じている。

日本の大学は文系と理系という振り分けを高校でされた後の学生が入学してくるので特にそういう感覚が強いのではないか?と僕は想像しています。また、こうして二つに分けてしまうのでそれによる弊害(ようするに本来ならばどちらにも属さない、あるいはどちらでもやっていける学生の進路の問題)があるのではないか?と思われます。そういう意味ではアメリカの大学の多くの様に入学時に何学部と決めず、入学してから進路を決められるアメリカの大学のシステムは決して悪い物ではないな、という気もします。また僕の様にリベラル・アーツ・カレッジで教育を受けて働いているといろいろなその手の恩恵もあったりもします。例えば僕は学生の頃、哲学も神学も多いに楽しんで取りました。化学、数学、物理学といった殺伐とした授業だけではなく、そういう人間に深みを与える教育はいい事だ、と思うのですね。

さて、ここまで書いて一つ興味深い記事を見つけました。こちらの記事によるとフランスには文系と理系以外にもう一つの経済・社会学系という第三の学問の系統があるらしいです。確かに経済学や社会学は文系の要素と理系(統計学や微積分などの数学)の要素が多く使われます。確かにそういう考え方もあるだろうなぁ、と思います。また、この記事にはバカロレア・シアンスエコノミク・ソシアール、すなわちbaccalauréat sciences economique et socialという事はまあ確かに経済学と社会学の科学という事ですね。その賛否はともかくとしてそういう考え方もあるのだよ、という事が興味深いな、と思います。

最後に少し補足をしておきましょう。冒頭の日本語版Wikipediaには西欧圏では自然科学、人文科学、社会科学の三つに分けられている、と書かれています。この「西欧圏」と言うのが具体的にどこの事を差すのか僕にはよくわかりませんが、少なくともアメリカでは必ずしもそういう分け方はされず、自然科学と人文科学との二つに分けられるのがやはり一般的です。従って、社会学や経済学の様な学問は人文科学の中の一部という捉え方をされています(うちの大学に至っては経済学はビジネス・スクールにしか存在しませんし…)。

« いじめられっ子とその後 | トップページ | 留学と文系、理系 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1537785/53403336

この記事へのトラックバック一覧です: 文系か理系か:

« いじめられっ子とその後 | トップページ | 留学と文系、理系 »