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2013年12月27日 (金)

平等社会?

少し古い記事になるようですが「実は英米より日本の方が機会平等で実力社会」という記事をしばらく前に読みました。まあ書いてある事全体の趣旨は間違ってはいないのですがこれを読んでふと思う事がいくつかありました。

まずは「アメリカは誰にもチャンスを与えられる実力社会」という事。アメリカに住んでいて思うのはそれは確かにアメリカ人は「アメリカでは誰にでもチャンスがある」と言いますがその意味は正しくはとらえられていないという事。その意味は本来は「アメリカという国は自由と平等の精神に基づいて建国された国なので貴族の様に持って産まれた特権という事がないから原理的にはチャンスが与えられれば誰でも何でもする事ができる」という意味で「誰にでもチャンスが転がってくる」という意味ではない、という事です(もっともこれはアメリカ人もよく誤解をしている様な気がしますけど…)。

その一方で、近年のアメリカではだんだんと育った家庭の裕福さが子供の将来を左右する、という認識が出てきている事も確かな様です。この記事の筆者は所得が左右する理由は教育にあるのではないか?と推論をしています。多くの統計研究などでもその様に分析されていて決して間違った事ではありません。この記事では大学が、となっているのですが実はそのもっと前の段階で左右される、と言うのが真相の様です。アメリカでは学校で何を教えるのか、という事の多くは自治体に任せられていて学校の予算と言うのも自治体の予算に繋がっています。従って裕福な自治体の方が学校のレベルが高い。その上で都市部では裕福層の親は子供を私立の学校に行かせて、という事をするので更に差がつく事もある、となります。

さてこの記事で気になった事の一つが「英米の学校は、私立が中心で、かなり自由化されている」という事。この文章を普通に読めば「私立の学校が英米の学校の中心で、かなり自由化されている」と読めると思います。少なくとも僕はその様に受け取りました。イギリスの事を書くつもりはないのでそれに関しては何も書く事がありませんが、アメリカに関してはそれは大きな間違い。確かにいい教育を受けさせよう、と思ったら私立の学校に子供を通わせた方が効果的ですがこちらの記事にある様に、子供の全人口に対して私立の学校に通っている子供は一割程度。どう考えても公立の学校の方が中心だ、という事になります。

他にも「英米の名門大学は、日本のようにペーパーテスト一発勝負ではなく、どういう高校時代を送ったのか、スポーツは何を頑張ったのか、ボランティアには積極的だったか、など総合的に資質を問われる。(中略)こうやって総合的なテストが行われると、名門大学はどこもかしこも個性のない金太郎飴みたいな学生ばかりになる」と書いてあります。いえいえ、そういう事は決してありません。うちの大学は超名門大学ではありませんがまあそれなり。この近辺(アメリカ中西部)ではまあ名門大学と言える様な所。そういう学生たちを見ていても特にスポーツを頑張っていた、とかボランティアは、とかいう事はありません。まして「リーダーシップに積極的で、ボランティアに熱心で、スポーツもやって、といかにもナイスガイという感じの、薄っぺらい人間」という事はありません。学生の中には確かにそういう学生もいますが中には暇があればネットでゲームばかりしている学生やそれこそ「コミュニケーション障害だったり、リーダーシップどころか友だちがひとりもいないような人間」がいます。これは僕の偏見かもしれませんが正直、今の日本の大学生の方が遥かに薄っぺらい場合の方が多い様に思えてなりません。

実はアメリカの「名門大学」ではあまりにも学生の成績のみに注目した為に学生のマナーがなっていない、との事でマナーの講習会をしている大学もあります。一番有名なのはMITのチャーム・スクールでいかにしてもっと人間として魅力的になれるか、という内容の事を教える講習が二十年以上も続いています。これらの講習会の一部はテーブルマナーであったり、いかに人と接するか、という事であったりとなっていて、そういう事をする需要が少なくとも二十年間はMITでは必要だ、という事です。そういう事実をふまえて考えて「リーダーシップに積極的で、ボランティアに熱心で、スポーツもやって、といかにもナイスガイという感じの、薄っぺらい人間」という表現はおかしい、と思えてなりません。

もっと言えばこの記事その物もおかしくないか?と考えられます。確かに少なくともアメリカよりも日本の方が機会平等社会である、と考える事はできます。ここには議論の余地は与えられた情報を元にして全くありません。でも機会が平等だからと言ってそれが必ずしも実力社会なのか?という疑問が生じます。日本では少なくとも今でも雇用という観点においては平等ではない、と僕には思えてなりません。今の日本の会社では正社員と非正社員という明らかな二つのグループが存在します。派遣社員や契約社員やパートの人たちですね。このグループに属する人たちは正社員ではない、という事からそもそも会社の重要な役職に就く事はありえません。その段階でもはやいくら実力があっても実力社会の一員ではない事になります。確かに、理論的には頑張って正社員になる事もありえますが実際にはそうなれない様になっている場合もよくあります。

アメリカではどうなのか?そもそもアメリカではこの様な区別が明確ではありません。そもそも、アメリカには終身雇用なる概念もありませんし、ある意味、すべての会社員は会社と契約をしているわけですからそういう意味でも「正社員」と「契約社員」の区別もありません。また「派遣社員」もその派遣先のと契約しているわけですからこれまた区別が明確ではありません。そもそも、その会社にいつまでもいる物ではない、という考え方を最初から持っているので機会があれば他の会社に移って、と考えているのはまあよくある話です。そう考えるとやはりアメリカの方が実力社会なのではないか?と思えてなりません。

またこの記事を読むとアメリカでは名門大学に行かないと成功しない様な事が暗にほのめかされている様な感じがしないでもありませんが、それも間違いです。著名な例では例えばOracleのCEOのラリー・エリソンは大学を中退していますし、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズも大学を中退しています。IT関連ではない所では例えばピーター・ジェニングス(有名なニュースキャスター)などは大学を中退しています。

またいわゆる「名門大学」ではない少し格下の大学でも成功を収めている人はたくさんいます。例えば現職の国防長官のチャック・ヘーゲルはミネソタ州のブラウン・カレッジとオマハのUNOを卒業しています。他にも例えばジェイムズ・クローニンは南メソジスト大学とシカゴ大学を卒業して1980年にノーベル物理学賞を授与しています。 もちろん、この様な人たちはある意味で「例外」なのかもしれませんが実際には一流大学卒では無くても成功を収めている有名ではない人たちはたくさんいます。

この元記事を書いた藤沢数希に関してはどうも胡散臭い所がたくさんある様ですがそれはさておいてこういう記事が世の中にまかり通っているのは何となく間違っている様な気がしてなりません…。こういう人の書いている記事が多くの人に読まれているのか?と思うと少し残念な気がしてなりません。本当にこの人、アメリカの実情を知っているのかな?と疑ってしまいます。

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