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2014年4月21日 (月)

科学者として考えて…

僕は子供の頃から科学者になりたいと思っていました。小さな頃は何となく漠然とした思いしかありませんでしたがある程度大きくなって気がつけば明らかに理科の授業が一番好き。もちろん、小学生の時には実際に科学者がどの様な事を実際にしているかという概念は基本的にはありません。それでも何となく自分が科学に携わる仕事をするのではないか?と常に思い続けていました。

考えてみると僕は父が医者、母が薬剤師という環境で育ったので周りには科学者としての素養を持っている人たちに囲まれて育った事になります。僕は医者は必ずしも科学者とは言う事はできないかもしれないけど少なくとも科学的手法にある程度の理解がある人たち、と思っています。どうして医者は科学者ではないかもしれないか、と言うと少なくとも町医者にはあまり科学的な思考を求められる事がないらしい、と言う事。科学者はある事象がある時にどうしてそうなるか?を考えますが医者は必ずしもそうする必要性がない。具体的には例えば科学者としては癌はどうして転移するのか?どういうメカニズムで転移がおこっているのか?という事を考えますが医者はその分野の研究をするのではない限り普通はそういう事に対する理解は特に必要とはされません。更にある意味、臨床医は科学者である事よりもヒューマニストである事の方が重要な場合があり、そういう意味では理系の素養よりも文系の素養の方が必要なのかもしれません(もっともそうではなくてドライな医者もたくさんいる様ですけど…)。そういう事実を踏まえて僕は父は理系の人間ではなかった、と思っています(もっとも本人は僕に反論しただろう、と思いますが…)。

さて、そういう環境で育った為かいつもどこかで「これはあり得る事か?」「これは論理的に正しいことか?」という事を考えてしまいます。例えば十何年前に日本で流行ったマイナスイオン。文献を調べてみるとそもそも「マイナスイオン」が何の事なのかはあまり明確に定義されていません。既にその段階でかなり怪しいのですがそもそもマイナスの電荷だけで存在できるわけがないのでマイナスイオンがある所には確実に同じだけのプラスイオンが存在するはずです。ところがこのプラスイオンがどうなっているのか全く説明がありません。その段階でかなり胡散臭くなります。

また、同じ頃に例えばトルマリンなどがマイナスイオンを自動的に発生させる(つまり外部からエネルギー供給がなくても発生させる)という話を聞く様になりました。なるほどねぇ…。ここで冷静に考えてみましょう。マイナスに対するプラスの議論はさておいて、世の中にあってマイナスの電荷を帯びている物はほぼ間違いなくその全てが電子を余分に持っているものばかりです。そもそもイオンとは「電荷を帯びた原子、または原子団」の事です。マイナスイオンはその名前からもわかる様に何らかの形でマイナスの電荷を持っているイオンの事となります(普通はそういう物の事を陰イオンと呼ぶのですけど)。ではそのマイナスの電荷はどこから来ているのか?これは電子が余分にある事によってマイナスになります。どうして電子でなければならないかって?それは原子は電子、陽子、と中性子からできていて、電子はマイナス、陽子はプラス、中性子はどちらでもない、という事になっているからです。したがってマイナスイオンはどう考えても電子を何らかの形で余分に持っているイオン、としか考えられません。

ここで問題になるのがではいったいどうやってトルマリンなどの天然鉱物の一部がマイナスイオンを発生させる事ができるのか?という事です。電気製品の様に電気的に電荷を与えているのならばまだしも天然鉱物に普通はその様な事はできないはずです…。要するに電子を放出しているものであればマイナスイオンを原理的には発生させる事ができるはずです。実はそういう物は自然界にも存在はしています。β崩壊をする放射性物質がそうですね。β線の正体は実は電子なのでβ崩壊をする放射性物質はマイナスイオンを発生させる事ができるはずです。ではβ崩壊を起こす放射性物質ってなにか?となります。これはまあ例えばセシウム137とか三重水素とかになります。それらがどの様な物であるかは今更僕が書くべき事ではないと思われるのでここでは割愛させて頂きます。

この様にどう考えても天然鉱物が自発的にマイナスイオンを発生させているわけがありません。ではどのぐらいの知識があればそれがわかるのか?を考えてみたいと思います。実は高校生ぐらいなら普通はわかるはずなのです。イオンも放射性物質も中学校でならう概念です。したがってそれらを正しく理解していれば高校生ぐらいなら考える事ができるはずなのです。ところがそれにころっと騙される人がどうしているのか、僕には理解ができません…。

この事で少し興味深い事がこちらに書かれています。僕が注目するのは特に「『なぜ』と問う力が弱まっている」、「信じる前にまず批判的に調べる意識を持つ」、そして「自分の目でしっかり確かめ、自分の頭で判断する習慣を」という事。これはまったくその通りだと思います。

しばらく前にこういう記事を見る事がありました。科学と魔法の違い…。思わず僕はうなってしまいました。科学と魔法は比べるべき事ではない、というのが僕の科学者としての見解です。なぜか?だって科学は学問であるのに対して魔法は学問ではないからです。もしここに「科学と魔法学」と書かれていても対象にする物が明らかに違うのでそれが比較できる事であるかどうか疑わしいのに魔法というそもそもそれが何であるのかすらも明確に定義できない事と科学という学問と比べる事がおかしい、としか僕には思えてなりません。ところが延々とその議論が続くのです…。

どうしてそういう事が起こるのでしょうか?おそらく、一般の人たちは科学と科学技術の違いがわかっていないからなのではないか?と思われます。科学は学問として「なぜ」を追求する側面がありそれその物には善悪はありません。科学とはいわば事柄の間に客観的な法則や原理を発見して体系化させる事を目的とした学問、と言う事ができます。その法則や原理その物には善悪、という概念はありません。それに対して科学技術(もしくは技術)は世の中で役に立つ物を開発する、という側面があるのでどうしてもそこに善悪の概念(の様な物)が入る余地が存在します。

例えば核分裂、という事をとってもその現象その物に善も悪もありません。ところがその利用方法によっては善悪が存在します。でもどうやって利用するかは本来は科学の範疇ではありません。もう少し詳しく説明しましょう。これは日本での事ではないのですが例えば先日、ニュースで3Dプリンターで食べ物の出力するという事を「科学の発展で新しい食べ物が…」という形で報道されていました。でもここには科学はなくてすでに技術として成り立っている3Dプリンターを使って食べ物を作る、という事でここに科学的に新しい事はどこにもありません。細かく吹き付けた小麦粉を加工して食べ物になって当たり前ですからここに新しい事は全く見られません。そう考えると「3Dプリンターで食べ物」のどこにも技術的な意義はあっても科学的な意義はありません。

では「高度に発展した科学は魔法と区別がつかない」という事を言っている(とされる)クラークの三法則はどうでしょうか?実はクラークは「高度に発展した科学は魔法と区別がつかない」とは書いてはいません。クラークは「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」と書いていて、科学ではなく科学技術の事を書いているのです。しかもこの元々の英文は"Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic."なので厳密には科学技術とも書いてはいません。これはもうクラークが書いた言葉が日本語で一人歩きしているとしか説明ができません。

同じ様に僕が違和感を最近持ったのがこちらの記事。このブログを書かれている那須優子さんという方、ナース兼医療ジャーナリストらしいのですがその割にはあまりにも内容が稚拙です。「小保方博士の人騒がせな行動が、患者の命、人生までをも傷つけているから」怒っているそうですがその理由がものすごい。パーキンソン病の患者さんのおばあさんが「『iPS細胞は癌になる』という悪意むき出しの説明」を聞いてから「それ以来、おばあちゃんは、黙ってしまった。iPS細胞のことを口にしなくなりました」らしいです。確かにある程度の認識不足があった事は確かの様ですが実際にiPS細胞の実験の最大の問題は癌であった事は事実。もちろん、その為にレトロウィルスを使ったりして癌化しない様な工夫もされているのですがこれを「悪意むき出し」と表現するのは少しおかしいかと思います。

更に「別の相談を受けていた30代の女性は、理研の最初の会見を見て、再生医療に期待を抱くあまり予定していた「子宮がん摘出手術」を延期しました」とあります。それはもう完全にお門違い。そもそもマウスでの実験から実際に臨床実験まで進むには何年もかかるのは科学、及び医療に関わっている人であれば普通は知っているはずです。そう考えればSTAP細胞が存在すると過程してもそれが実際に治療の使われるのが何年も先になる事は簡単に理解できるはずです。それを「病気が治ってほしい、という患者の心情につけこみ、患者の人生と命を振り回し、あげくの果てに、患者を絶望させ、ときに患者の絶好の治療の機会まで奪っておきながら逃げ回る」と表現しています…。自分が科学(及び医療)をちゃんと理解をしていなくてその上で「相談を受けていた30代の女性」にちゃんと説明をしておかなかった。でも責任は小保方氏と理研のせいにしているだけではないか?という気がしてなりません(そもそもナースが患者さんから相談を受けるって何よ?という気もしますが…)。

一番の罪はこの那須さん、肩書きがナース兼医療ジャーナリストなのでこの人の書いている事を鵜呑みにしてしまう人がたくさんいるのだと思われます。その割には書いてある事がいい加減。この記事にはこういう事が書かれています。

「特にES細胞は、基礎研究はともかく、もし、人間への医療の応用、大量に治療薬を作る、といったレベルにまで、踏み込んでいくkときに、最終的に人間の受精卵を使わねばならなくなる(これはSTAPも同じ)という、倫理上の大きな壁に直面する。

(中略)

STAP細胞もその点ではES細胞と同じで、受精卵を使った実験というところで、将来的な見通しは暗い」

確かにES細胞は受精卵から幹細胞を持って来ているのでその通りですがSTAP細胞は(存在すると仮定して)そうではありません。普通の細胞を過酷な状態にさらす事によって幹細胞の様にリセットされる、という理屈です。これはググればすぐに日本語で出てくる情報なのでこの方、本当にジャーナリストとしてちゃんとしているのか?という疑問を持ってしまいます。そういう人が何食わぬ顔でロクに科学を理解せずにこういう記事を一般の人に書いていていいのか?という疑問が僕には生じてなりません。そしてこの人の書いた記事を読んだ一般の人たちが間違った理解を持ってしまう、というのがものすごく残念に思えてなりません…。

もちろん、日本の理科教育がちゃんと成立していたら最初からこういう記事を書く人が存在しない、という事もあるのですがそれはそれでまた別の機会にするべき事と思われますからまたあらためて別の機会にしたいと思います。ただ、皆様もただ新聞やネットに書かれてある事をそのまま鵜呑みにせず、もう少し深く考えて調べてから結論を出してみてはいかがでしょうか?決して難しく考えなくてもいいと思うのですが…。

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