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2015年2月20日 (金)

識字を考える

最近しばらくは僕の個人的なお話ばかりだったのでちょっと今回は久しぶりに真面目な(もっとも僕の恋愛が不真面目なわけではありません)お話です。

しばらく前に朝のニュースを見ていてビックリする事がありました。ニュースの内容その物は全く別の話だったのですがその報道の途中で「オマハには約7万人程度の機能的非識字の大人がいます」との事。機能的非識字(functional illiterate)とは聞きなれない言葉ですが要するに字を判別できても基本的には文章を読む事ができない人の事を言います。どうしてそういう事がありえるのかそれ自体が不思議でなりませんがそういう人がいる事は事実の様です。

僕が一番ビックリしたのはこの数字。7万人もいるのか?というのが信じられませんでした。で、もう少し調べてみたらオマハの人口の16%程度が機能的非識字らしく、オマハの人口がだいたい420万人程度なのでなるほど、確かに7万人程度になります。オマハの人口の16%が機能的非識字というのも驚きです。つまり、六人に一人程度は字が基本的には読めない勘定になります。

確かにこの数の中には移民も含まれているのでしょうがそれにしても多いな、と言うのが実感でした。調べてみるとオマハの人口は約13%がヒスパニック系との事ですがこのうちの何割かはアメリカ人で英語を日常的に使うヒスパニック系なので移民だから読めない、と言うのも勘定には合いません(そもそも、ヒスパニック系の人口の総数の方が機能的非識字の総数よりも少ないのですから)。つまり、それだけ英語を第一言語としていながらも英語を読めない人口がいる、という事です。またアメリカ全体でもだいたい、同じぐらいの割合の人が機能的非識字らしく、オマハが特別なわけではない様です。

実は僕にはどうしてそんな事になるのかさっぱりわかりません。そもそも、僕の感覚から言えば日本語においては字を読めれば意味が普通はわからないか?と思えてなりません。そもそも、日本語という言語は漢字を使うので読み方がわからなくても字を見れば何となく意味が通じる事も珍しくはないので自分で読解する分にはそれで十分な場合もよくあります。そもそも、だいたい中学三年生になる頃には新聞を普通に読む事ができるはずですからそれを考えると日本の義務教育を普通にやっておけば機能的非識字という事はあり得ないもの、と思われます。日本では1974年頃から高校進学率は九割を超えてその後もその高い割合のままであるという事を考えても九割以上の成人が普通に読み書きをできる、と考えていいのだと思われます。

大学という所で働いているので当然の様に周りの人間は学生をはじめとして読み書きができて当たり前の人間ばかりなので僕には少し想像しがたい話ではありますが実際に読み書きが事実上できない人はアメリカには思ったよりも多く存在する事になります。でもよくよく考えてみると例えば大学の掃除の人たちとかは確かにろくに読み書きができそうにありません…。そういえば先日、ガラス修理の最後の過程でつかう焼きなまし用のオーブンがある部屋のドアを開放しておいて「ドアを閉じないで下さい」という張り紙をしておいたら見事に誰かがドアを閉じていました。掃除の人たちがやったのだろうな、と思われますがもしかしたら書いてある事が読めなかったのかもしれません…。アメリカでもさすがにそれはまずいだろう、という事であちこちで大人に読み書きを教えよう、という運動が行われているようです(僕がニュースで見た話はもともとこちらに繋がっていたのです)。

考えてみると、2000年のアメリカの大統領選挙でブッシュかゴアかで激しく争った背景の一部にはこのアメリカ人の識字率の低さがあります。どういう事かというとアメリカの一部では住民がちゃんと読み書きができないので投票機なる物を導入しているのです。当時使われていた機械の多くがまあ要するにパンチカードの機械の様なもので、ボタンを押す事によって投票用紙に穴が開くようになっています。そういうパンチカードを機械で読み取って集計をするのですがこのパンチカードが読み取りにくく、投票用紙によっては完全に穴が開かない事がある、などという事があった様です。日本の様に単純に候補者の名前を書くという事をすればありえない様な事も大統領選挙で当選者が誰かをもめる原因になった様です(当然ながらそれ以前にいろいろな問題があったのですけどね)。

ではどのぐらい読めないのか?何しろ回りに識字ができない(と思える)人がいないので詳しい事は不明ですがかなり読めない様です。例えば、しばらく前に実験室のドアを閉じない様にしておきたかった事があり、その旨の張り紙をしておいたら見事にドアが閉じられていた事がありました。どうやら掃除の人たちがやった様なのですが今から思えば字が読めないからの可能性が非常に高い…。最初は全くそういう事を考えませんでしたが、どうもあまり読み書きができないふしがあります。

ここまで書いて一つ気がついた事があります。そういえばテレビのニュースを見ていて気がついたのですがアメリカでは外国語で行われるニュースのインタビューがほぼ間違いなく吹き替えられているのです。僕の記憶にある範囲内では常にそうでした。日本では僕が高校生の頃まではテレビのニュースで吹き替えは半々程度。今でこそ吹き替えの事が多くなっていますがちょっと前までは字幕、という事がよくみられました。これも字が読めない人たちへの配慮なのかもしれません。

そういう中ニュースでネブラスカの州議員が小学校三年生対象に読み書きの試験を導入したらどうか、という提案をしているらしい、という報道がありました。 この提案によればその試験を通らない児童は留年させる、との事です。実は隣のアイオワ州をはじめとしてアメリカの多くの州や街では似た様な条例があるらしいのですが落第させる、というのは珍しいらしいです。ではなぜ三年生か?ニュースで報道されていた内容によればだいたい三年生ぐらいまでが基礎なのでこの段階でろくに読めない児童はそのまま読めないままになり、機能的非識字という事になるそうです。もちろん、読めないという事は書く事も基本的にはできないし、またどの教科でも読む事はある程度は必要ですからそのままほぼ全教科で落ちこぼれる事になる、という事になります。ある調査によれば小学校三年生で読む事ができない児童は読める児童よりも高校を中退する可能性が四倍高いとの事らしいです。

では小学校三年生はどのぐらいの事が読めるのか?探してみたらこちらにいくつか三年生が読む教材があります。これを読む限りでは若干の語彙の問題はありますがまあだいたい日本の中学三年生ぐらいまでには読める程度の英語ではないか?と思われます。そう考えるとまあある意味、納得はできます。どちらも三年間程読み書きを習っているのでどちらもまあ同じぐらいの英語の読解力がある。日本の中学生の方が年齢が上なので短い時間しか英語に触れていませんが複雑な概念を理解する事ができる、と考えればまあそんなものか、と思います。また基本的な読み書き、という観点からも義務教育の範囲がアメリカで「必要最小限の能力」と取られていても不思議はありません。

こういう事と関連してかどうかはわかりませんが、近年、やはり大学生の読解力が低くなってきているな、と思います。よくあるのが短文は理解できるのだけど長文になるとなぜか理解度が低くなる、というパターン。これは近年になって本当に多くなってきました。どうしてそうなのか?というのは不思議でなりません。最近の子供はSMSやツイッターなどで短文しか読み書きをふだんはしないからなのか?と最初は思っていたのですがどうも問題はそれだけでもないらしいです…。なんでも最近では学校で長文読解などという事がどうやらあまりないらしいというのが真相(の一部)の様ですが…。しかしではいったい学校では何を教えているの?と不思議でなりません…。

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