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2015年2月28日 (土)

十年前の夏に

この数日、彼女とネコの一件から母が亡くなった時の事を考えてみる機会がありました。ネコを失った彼女がいったいどういう気分なのか?彼女に何をしてあげられるのか?と考えた時に思いついたのが十年前に母が亡くなった時に自分はどうだったのか?という事を考えてみるという事でした。

結論から言えばその時、僕が思ったのはまず一人でいたかった。でも同時に一人でいたくはなかった。何にもする気になれなかったし食欲もなかった。何もする気になれない上に食欲すらないので食事もまともにしなかった。そのあたりでしょうか、重要なのは。

母が亡くなった時、その二週間程前に叔母から「変化無し」という内容のメールをもらっていたのでそれがその二週間後に母が亡くなったという知らせを叔母から受け取った時にはもう何をしていいのかわからず混乱してしまった事を覚えています。そもそもどうしてそういう情報が父や兄からではなく叔母から流れてきたのかは未だにわからない話です…。

さて母が亡くなったのは日曜日。叔母からの連絡はメールで来ていた上に2003年頃まではメールの文字化けが多発したので当時は日本語のメールは別のプログラムを使って別のアカウントでやり取りをしていました。その関係上、その日は通常使っているメールは朝にチェックしていましたが日本語で使うメールをチェックしたのは午後遅くになってから。叔母からのメールをみてビックリしてしまいました。そんな馬鹿な…と思ったのを覚えています。

実はその日から三、四日程は記憶がものすごく曖昧です。とにかく一人でいたくはなかったけど知らない人といるのはもっと嫌。知っている人でも事情を知らない(母がそれまで十四年間、どういう状態でだったかを知らない)人たちと一緒にいるのも嫌。結局、とりあえずBS師匠に電話をする事に。それから師匠の家まで泣きながら運転して行ったのは覚えていますが…その先がすごくあやふや。父に師匠の家から携帯で電話した記憶はありますが何を話したのかもよく覚えていません。その夜、そのうち自分の家に帰ったはずなのですがそれもいったいどうやっていつ頃に帰ったのかも覚えていません(自分で運転して帰ったはずなのですけどね)。

たまたまその週は1991年に母が倒れた頃の事情を知っている同僚たちの多くがバンクーバーで行われていた学会に行って出払っていたのでその日に話をした化学の同僚はおそらく二人ぐらい?その週の終わり、もしくは翌週の月曜日にその他の事情を知っている同僚たちに母が亡くなった事を伝えた記憶があります。物理学でも二、三人の同僚に話をした記憶があります。生物学はどうだったかなあ…。あまり記憶にありません。

僕は基本的には自分の事は自分の事、と思っていてあまり私生活の事を人に言う方ではない(INTJの特徴の一つ)上に社交辞令が嫌い(これもINTJの特徴)なので事情を知らない人にお悔やみを言われても苦痛なだけなので母の事情の事を知らないであろう人には全く教えませんでした。もっともそういう人でも僕がそれまでに言っていた情報を全部照らし合わせると「何かがおかしい」及び「いつの間にか母親が死亡している」はわかるはずなのですが普通の人はそこまで細かく注意する事はありません…。だからおそらく僕の母がどうなったのか理解をしていない人がある程度今でも周りにいるのであろうと考えられます…。

数日して同僚のJさんに母が亡くなった事を教えた時に話をしていてふと思いついたのがもう二人程、母が亡くなった事を教えなければならない人がいる、と言う事。僕が2001年頃までずっと友達以上、恋人未満の状態だった子とその前にしばらく付き合っていた子です。2003年にオマハに復帰した時あえて連絡を避ける事にした人たちですがそれでも二人とも母の事情はよく知っていたので母が亡くなった事は知らせるべきだ、と判断をしました。結果的には二人とも僕が送ったメールに返信はしてくれましたがそれだけ。母を亡くした事で傷ついていた僕は本当はその二人に慰めて欲しかったのだと思いますが基本的にはそれすらもありませんでした(返信としてもらったメールには大した事が書いてなかったのです)。

実は先日、彼女に料理を持って行った事もそのあたりに関係しています。食欲もないし料理をする気にもなれず、さらには外食に行くのはもっと億劫なので食べ物をもらう事はうれしい。それがボーイフレンドからだったらもっとうれしいだろう、と考えたからです。もし十年前に僕がまだその当時は心のどこかで想っていた子たちがそこまでしてくれていたらどんなにうれしかっただろう、と考えたからです。それだけ今の僕には今の彼女の事が大切だからそうしてあげたい、と思ったのです。

彼女は僕の両親がどちらも他界している事は知っていますが僕は今の所は彼女とは母の話はまだしていません(父の話は当たりさわりのない程度はしばらく前にしました)。先日、食べ物を渡した時に「いつか母の話をしてあげるね」とは言ったけどとりあえずそれっきりになっています(がまだそれからそれほど日数も経っていませんしね)。母の話は長くなりそうなのでいつかまとまった時間がある時がいいかな、と思っています。まずは彼女が元気になってくれる方が先決。僕の話ではなく彼女の話を聞いてあげたいな、と思っています。

さて実際に僕がその当時どの様な状態だったのか?を当時話をしたであろう同僚や友人たちに聞いてみました。ところが意外にもその当時の僕がいったいどの様な状態であったのかを覚えている人が少なく、せいぜいで二人程度。翌日頃はぼうっとしていたそうです。それからだんだんと落ち着いてはきたけどしばらくは元気がなかったとか。十年前の事なのでみんなの記憶も少しあやふや。普通ならば一番何でも覚えている僕がその二、三日程の記憶がかなりぼんやりとしているので困ったものです(まあそれがこの場合は当たり前なのですが…)。

母が亡くなってから二週間程して秋学期の始まる直前にキャンパスの敷地内でばったりと先ほど書いた友達以上、恋人未満の子と遭遇しました。その日、たまたま物理学の先生と話をしていてその先生が「昼を食べにいこう」と言って昼を食べに行く事に。その帰り道、図書館の前でばったりと相手の方に遭遇しました。その時には既に母が亡くなってどうしたらいいのかわからない状態からは立ち直っていたのはよく覚えています。その直後にたまたまミーティングがあったので二分程の短い立ち話をしただけで(それも確か何のとりとめもない話をしただけで母の話はしませんでした)それっきり。母が亡くなって割とすぐに平気な顔をしていて「薄情な人」と思われたのではないか?と後で考えましたがまあどうしようもない話ではあります。それから二年程してから今度は父が亡くなった時に同じ二人に連絡はしましたがこの子からは梨の礫。この子とはそれっきりになってしまいました(もう一人の方はメールで返信がありました)。風の噂で聞いたのは五年程前に結婚して昨年だかに子供も産まれたらしいです。その子の事を考えるとちょっと胸が痛むかな、今でも(もっとも、この一月の間に僕の方の事情が大変わりしたのでほとんど感じない程度の痛みですけど、今では)。

実は母がどの様にして亡くなったのか僕は未だに知りません。兄に聞いたらなんだかはっきりしない答えしか返ってきませんし、叔母に聞いても似た様な感じ。何かがあったのであろうと考えられますがそれが何であったのかは誰も教えてくれないのではっきりとはわかっていません。まあ今更知ってもどうしようもない事なのですが何となくこの十年の間、もやもやとした物を心の中で抱えているそんな感じです。

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