« 2015年5月 | トップページ | 2015年7月 »

2015年6月

2015年6月30日 (火)

周期ゼミ

子供の頃、毎年、夏になったら外でセミ捕りをしていました。今ではあまりセミ捕りをしている子供を見かけない様ですが僕が子供の頃はテレビゲームもない時代だったので子供は外で遊ぶのが普通。夏はセミ捕りと相場が決まっていた様な物でした。僕が育った金沢辺りでは基本的にはアブラゼミとニイニイゼミが主体。ミンミンゼミは金沢ではあまり見られないところが多いです。

セミの成虫は飼育ができない様な物なので割とすぐに死んでしまいます。そこでまた捕る。という事をよくしていました。同い年の従弟を連れて、場合によってはその妹にあたる従妹まで連れてよくセミ捕りをした物です(ちなみになぜか兄とはあまりセミ捕りをした記憶がなく何年も経ってからそういう話をしたら兄は「目が悪くて見えなかったから捕まえられず面白くなかったからあんまりしなかった」との事)。僕にしてみると子供の頃に慣れ親しんだのが夏のセミです。

さてオマハでは毎年、七月の終わりから八月頃に夕方に鳴くセミがいます。ところがアメリカの一部では周期ゼミと呼ばれる十三年、もしくは十七年に一度だけ出てくるセミがいる地域があります。基本的にはせいぜいで中西部までしか生息していませんし十三年、もしくは十七年に一度しか出ないのでいない時にはいないけど出てくる時には大量発生するそういう不思議なセミです。

基本的には東海岸の物なので僕はてっきりオマハ辺りにはいないと思っていたのですが一月程前に生物学の昆虫を研究している先生が「六月にこのあたりで十七年周期ゼミが発生するから観測に行くけど一緒にこないか?」と誘ってくれたのがオマハ辺りに周期ゼミがいる事を知ったきっかけでした。

それからしばらくしたある日、キャンパス内を歩いていたらセミの声が聞こえてきます。すぐに持っていたiPhoneで録音をしてその音をいじって聞こえやすくいした物がこちら。 まあ普通のいわゆるセミの声です。僕はまさか大学のキャンパス内にいるとは思っていなかったのですぐに昆虫学者のB先生を呼びにいって二人でしばらく耳をすます事に。待つ事数分、「ああ、これは確かにセミだ。この時期でいるセミは周期ゼミだけだからまず間違いないし、鳴き声も正しい」との事。実はそれまではキャンパスに周期ゼミがいる確認はできていなかったとの事。オマハ辺りではいる事はいるのですが木の数が多くはないのでそれほど絶対数が多くないらしいです。またこの時は「まだ出始めだからもうしばらくしたらたくさん出るはず」との事。

さてそれから二週間程してようやく天気も落ち着いてきたある日、昆虫を研究しているそのB先生が周期ゼミを見に行こう、と誘ってくれました。一応、生物学の職員全員と僕に声がかかったわけですが結局行く事にしたのは数名。二台の車に分かれてオマハから少し走った先にあるシュラム州立公園まで行ってきました。その時の写真がこちら。

Schramm1
Schramm2
Schramm3
Schramm4
Schramm5
Schramm6

なんと驚いたのが森の辺りを歩いているだけでセミが飛んでぶつかってきてそのままぶつかった物(および人間)に停まってしまう事。一時は僕の背中にこの通り、三匹も停まっていました。

Schramm7

こうして人に停まったセミ、そのまま歩いても平気な顔でじっとしているのですから驚きです。子供の頃にセミを捕っていた僕の常識からはセミって基本的には網がないと捕れない物なのですが周期ゼミはかなり勝手が違う様です。

周期ゼミは北米にしかいないので初めて周期ゼミを見たヨーロッパ人たちはセミの事を聖書のイナゴの災いと考えてそのせいでアメリカ英語ではセミの事をlocust(本来はワタリバッタの事)と呼ぶ人もいます。これはヨーロッパ人たちがワタリバッタ(イナゴ)とセミの区別がついていなかった事に由来します。まあワタリバッタやイナゴを見たことがないけど昆虫だと知っていてその上で大量発生した昆虫をみたらそれはそう思ってもまあ不思議ではありませんが…。

どちらにしても話には聞いてはいましたがちょっとビックリする様な光景でした。次は十七年先になります。十七年後に覚えているかな、周期ゼミの事を?と少し考えてしまうそんな不思議な光景でした。

2015年6月11日 (木)

十六歳の年に

先日、そのうちに高校生で留学していた時の話を特に書いていない事に気がつきました。そこで今回はその時のお話です。僕が十六歳の時なので三十年程前の話になります。そう考えるとずいぶんと昔の話ですね…。事の発端は兄が十六歳の時に一年間、ロータリーの交換学生として一年間アメリカに行っていた事に始まるのでしょうか?兄がどういう経緯でアメリカに留学する事になったのかは今ひとつよく記憶にありませんが兄が行ったので僕も行く事になったような物です。

当時は交換留学などをすると高校の単位の関係から自動的に日本の高校は留年する事になっていました。兄はその事を行く前にある程度心配していましたしまた後から少し後悔していたフシがあるのですが僕は逆に早く日本から抜けだして別の学年になりたくてなりませんでした。そのぐらい高校が嫌だったのです。高校では中学の頃とくらべてそれほど悲惨な目にはあってはいませんでしたがやはり中学でのいじめられっ子であった影響が少しあったのです。

実は高校に入学した時には中学での嫌な思いを忘れて新しい学校でやり直すつもりでいました。ところが隣のクラスに元いじめっ子の一人がいたのでそれもかなわず、いじめられはしませんでしたが思惑が違うそういう生活を強いられていました。そういう中、兄の様に一年間留学する話が入ってきたので行く事に決定しました。一学期の後の夏休みから一年間、アメリカに行ったので多分、話が来たのは五月の半ばか終わり頃。六月にはもう決定していて手続きが始まっていたのでしょうから今から思うと高校が始まって一ヶ月ちょっとでもう高校が嫌になっていたのですね…。三十年も経過した今ではその頃、本当に何が嫌だったのかも記憶にありませんがそういう物だったのですね、きっと。

さて僕が行ったのはニューヨーク州のキャナンディグアという田舎町。日本語版Wikipediaでは「カナンディグア」と表記されていますが現地の人はキャナンディグアと発音しているので僕は現地の発音にしたがってキャナンディグアとここでは表記します。当時の僕の英語の能力は普通の高校生並みと大した能力ではありませんでした。もっとも高校の英語の授業の内容なのでちゃんと理解していても実際に会話をする事はほぼ不可能なレベルでしたが…。

最初の頃はとにかくどこに行くにも辞書を持ち歩きました。アメリカに行く前に三省堂のデイリーコンサイス英和辞典と和英辞典を二冊買っていってそれをとにかく使いました。後になってから思ったのですがこの時に二冊別々の辞書にしたのは賢い選択でした。なぜか?だって自分の言いたい事を調べるのには和英辞典が必要ですが相手が何を言いたいのかを理解するには英和辞典が必要です。だから僕が和英をめくっている間に相手に英和を渡して二人でお互いに言いたい事を調べるという事が可能でした。合本になっている英和・和英辞典ではそれはちょっと無理。本屋さんに行ったらたまたま合本版が売っていなかったから二冊別々の辞書を買ったのですがこれはたまたま運がよかった、と後で思いました。

このデイリーコンサイスは実は未だに所有していて職場のオフィスに置いてあります。

Dictionaries
さすがに今ではほとんど使う事はありませんが何となくオフィスに置いてある物の一つです。ちなみにオフィスには高校入学時に買った(というか買わされた)研究社ライトハウスも置いてあります。こちらはたまに使う機会があります(半年に一度ぐらい意味が間違っていないかどうかを確実に確認する為に使う程度。ほぼ無くても大丈夫なのですが…)。

Lighthouse
どちらも箱があったのですがさすがに箱はどちらもとっくの昔に壊れて無くなってしまいましたね…。このライトハウスも高校生でアメリカに行った時に持っていった辞書です。最初の頃はライトハウスはカバンに入れてデイリーコンサイスをポケットに入れて両方を使っていました。デイリーコンサイスだと細かい内容を理解するにはやはりちょっと役不足だと思ったからです。ライトハウスの方は和英辞典も買って持っていったのですがこちらの方は英和ほど出番がありませんでした(こちらもオフィスに置いてあります)。

さて今はどうだかさっぱりわかりませんがその当時はロータリーの交換留学生だと一年の間に何度かホストファミリーを動く事になります。僕が最初にお世話になった家は確か三週間か四週間程、仮にお世話になった家でした。その家になった理由は単純で、その家の息子さんが数年前に日本に一年間いたので日本語を若干話せたからです。ただ彼は既に大学生だったのでとりあえずその家に預けてその間に同じぐらいの年齢の子供がいる家を探す、という事になっていたらしいです(が右も左もわからなかった僕はそれを後になってから知りました)。

東海岸の学校が始まるのは九月に入って勤労感謝の日(Labor Day)が過ぎてから。確かその週末に二軒目のホストファミリーの家に連れて行かれた記憶があります。二軒目の家には子供が二人。男の子は僕の一つ年下で女の子は僕の三つ年下でした。当時の僕の英語は今から考えるとひどいもので一体どうやって生き残れたのかな?と不思議なぐらいです。高校では最初のしばらく、三、四ヶ月程度は何が起こっているのかさっぱりわからずとにかく言われた教室に言われた時間に行く様にしていました。まあその留学した一年は日本の高校には全く関係のないに等しい事で成績が日本の高校に影響するわけでもないのでどうでもいいと言えばどうでもいい事だったのもありますが今にして思うとエラい事をしていた物です。まあ基本的にはお客様扱いだったのですね。

それでもそのうちだんだんと英語を理解してきてなんとかなる様になりました。本当に英語が何となく話せるなあ、と思い始めたのは十一月から十二月にかけての頃。まだ若かったし周りに全く日本人がいないので英語しか周りは話さない状況だったので否応もなく英語が上達していったのだと思います。

ロータリークラブの留学生だったので一ヶ月から二ヶ月に一度ぐらいその地区にいるすべての交換留学生を集めて交流会とでもいうのでしょうか、が行われる事がありました。始めてのは十月頃だったかなあ?それから寒い時期(多分、一月か二月頃)にもあったのを覚えています。もう何度かあったはずですがよく覚えているのがその二度。最初の十月だったかの時、一週間程の交流会だったと思うのですがその時にある夜、近所の高校でローラースケートの交流会がありました。スケートは生まれて始めてだったのですがスキーを長年やっていた経験からバランス間隔には優れていたのですぐに滑れる様になりました。最初はみんなで適当に滑って、というパターンでしたがしばらくしてからカップルで手を繋いで滑れ、となり僕は一旦着席。しばらくしてから地元の女の子が僕の所にやってきて一緒に滑りたい、との事。二人で何周かしました。英語がまだロクに話せなかったのであんまり話はできませんでしたがちょっとうれしかったのはよく覚えています。しかし僕のどこを気に入ってくれたのかな?と未だに不思議…。

それから正月過ぎに三軒目のホストファミリーに引っ越しました。その家は一家全員でスキーをしたのでスキーが大好きな僕にはうってつけの家でした。折しも高校でも競技スキークラブが発足したので僕も参加する事に。友人の数が劇的に増えたのはその頃から。英語もなんとかなる様になっていましたしクラブに所属していると同じクラブメンバーと知り合いになります。その関係でかれらの友人とも仲良くなって、という理屈です。多分、あの年が一年で一番滑走量が多かったのではないかな?と思います。土日の少なくとも片方にさらに木曜日の夜はクラブ活動で三ヶ月ぐらい滑ったのでとにかく滑った一年でした。スラロームの練習試合が二回あったのですがその二度目の時の最終成績で僕が一位だったのは今でもよく覚えています。僕はそれほど速くはなかったのですがポールセットがやたらと難しく、旗門不通過が続出。二本とも完走した選手で僕のタイムが一番よかったのですね。練習試合だったので表彰も何もありませんし記録もありませんが今でもよく覚えています。

春になってからは今度は陸上をやってみる事にしました。僕は1500メートルと3000メートルを主にやりました。この時にもっと友人が増えました。その頃には僕の存在は高校ではよく知られていましたし英語も話せる様になっていたのである意味で一番おもしろかった頃だったかもしれません。土曜日に大会に出場して、という事も今でも忘れられない経験です。

今でもあの一年間がなかったら違った一生を暮らしていたのだろうな、と思います。あの一年間がなかったらおそらく、今こうしてアメリカにいた事はなかったのだろうな、と思います。あのまま高校をそのまま通っていたらきっと僕はダメになっていたんじゃないかな?という気がしてなりません。その一年が過ぎて日本の高校に復学してすぐにわかったのは英語は基本的にほとんど勉強しなくても点数が取れる様になっていた事。だから後の強化さえそれなりに勉強すれば高校で成績優秀者になっていた事。そういう事もあの一年がなかったらありえなかった事です。学年が下でも成績優秀者だと元いじめっ子にも何もされる事はありませんでしたし、いろいろな意味で運命を変えた一年だったな、と今でも思います。

それからキャナンディグアには二度程行きました。日本の高校を卒業してオマハに来る前に一週間程一度、それから2001年に一度の二度です。今では当時の友人たちとも連絡がつかなくなってしまいました。三軒目のホストファミリーの次男の子とはFacebookで繋がっていますがさすがにもう二十年以上、会っていないので直接な繋がりはなくなってしまいましたね。化学で同じクラスだったある女の子はずいぶん長い間、文通をしていたのですがオマハに来てしばらくしてそれもある事情があって途絶えてしまってそれっきり。今ではいい思い出です。若くて必死で毎日を一生懸命すごしていたな、と今でも思うそんな一年でした。

2015年6月 3日 (水)

英語は論理的なのか?

もうずいぶん昔の話、僕が高校生でアメリカに来た時の話です。ロータリーの交換学生でニューヨーク州の田舎町にいた時の話です(そういえばその話はあまり書いていませんね。今度詳しく書きましょう)。僕が高校生だった頃の話なので三十年近く昔の話になります。ロータリークラブの交換学生だったので一ヶ月一度ぐらいその地区の交換学生を集めて何かをする、という事がありました。その時、たまたま近くにいた日本人の大学生の方もやって来てしばらく話をした事があります。

その時、話をしていてその大学生の方にビックリするような事を言われました。その方は英語を「論理的に考えられる様になるために勉強しているんだ」と僕に言いました。何でも「英語って物を言うのに論理的に考えないと話せない言語で日本語にはそれがないから」との事。その時、僕はおもしろい考え方だな、とは思ったものの特にその考え方に共感はできませんでした。英語がそれほど論理的には僕には思えなかったからです。と、いうか「論理的な言語って何?」と思えてならなかったのです。

英語は論理的な言語。三十年近くたっても今でも時々その事を考えるのでかなり心の中に残った事であった事は確実です。特に最近、ふと思い出して考えてみる機会がありました。実の所、こうしてアメリカに長く暮らして毎日英語を話していて特に英語が論理的な言語だと思った事はありません。正直、僕は三十年前、高校生の時にもそう思っていましたし今でもそうです。特に五年程前にフランス語を学んだ時に本当にそう思いました。少なくとも綴りと発音に関しては英語って本当に一貫性がなくてそうかんがえると英語が特に論理的とは思えません。

英語の綴りと発音がどのぐらいひどいのか、という事はかなり昔から英語を母国語とする人たちからも指摘されている事です。ちょっと有名な所では例えばこういう単語はどう発音するかおわかりでしょうか?

ghoti

普通に読めば「ゴティ」なのですがこれは可能性としては「フィッシュ」すなわちfishになるのです。日本語版Wikipediaにはこの様に説明されています。

ghoti (フィッシュ)は、英語の綴りの不規則性を示すために作り出された語。英単語 fish の音を異なる綴りで表したもので、当然ながら fish と同じく [ˈfɪʃ] と発音する。

もちろん、この「フィッシュ」という発音はむしろ例外的な綴りを組み合わせてそう発音する様になっているのですがそのぐらい英語の綴りと発音は例外だらけであるという事になります。こうして例外だらけな言語の英語のどこが論理的なのか?となります。

興味があったので少し調べてみたところやはりあちこちで同じような「英語は論理的である」というあまり根拠のない意見があちこちに散見できます。例えばこういう主張。ここには英語を学習するにおいて論理的に考えられる方が上達が早くてそれがどういう理由であるのか、という事を書いているのですが…論法がけっこう穴だらけです、残念な事に。論理的な思考とはどういう事であるか、ということから始まっていますが「論理的」というのは必ずしも「頭がいい」すなわち「勉強ができる」事ではなく「頭があまり良くないが、論理的な人」が英語を早く使いこなせる人、としています。そこまではまあ特に大きな問題はないのですがその後で「論理的思考」を「物事をわかりやく考える考え方」と定義しています。しかし本来、「物事をわかりやく考える考え方」が簡単にできる人というのは頭がいい人と世間では言うのではないでしょうか?そう考えると「頭があまり良くないが、論理的な人」とは一体、どういう事なの?となってしまいます。

更に実例として英語には日本語にはない様な「冠詞」や「単数/複数」の区別がある、としています。まあそれは間違ってはいないのですが実際の所は単数、複数に関しては別に日本語にたまたまその概念がないだけで特別なことではありません。この事についてはずいぶん前にも一度書いていますが二つ以上ある事は実はほとんど重要な事ではなく、数が必要な時は英語でもそれをはっきりと明言します。具体的にはこうなります。例えばこういう二つの文章があります。

There is a chair in the room.
There are chairs in the room.

日本語にしてしまうとどちらも「部屋に椅子があります」ですが別に二つ目の文章は椅子が部屋にいくつあるか?という事は重要ではなくただ単に言語がそうなっているからchairsになってそれに伴って動詞がareになるのです。具体的に部屋に三つ椅子があった、という事を表現するときはこうなります。

There are three chairs in the room.

でもこれは日本語でも同じですよね。部屋の中に椅子がある、というのは椅子があるという情報を伝える意味がありますがそれだけ。でも三つ椅子がある、となると三つという情報も重要になるわけです。

冠詞についても同じで不定冠詞は単数のものには必ずある物。でも不定冠詞は複数形になるとなくなります。その一報で定冠詞、theは特にその問題としている物を強調したい時に使います。したがってa chairとthe chairでは単なる椅子なのかある特定の椅子なのか、という違いになります。でもそれって本当にその情報が必要な時は日本語でも「その椅子」となってちゃんと表現されます。したがってこの記事に書かれているような事はあまり正しくはありません。

ではもう一つの論点である「100%言いたいことを伝えたい」という事はどうでしょうか?この記事その物にも書かれていますが日本人はあまりはっきりと直に表現する事を嫌います。でもそれって英語、日本語のレベルの話ではなくて文化的な違いなのではないでしょうか?更にアメリカの契約書が分厚い、という事が書かれていますがそれは単に現代アメリカが訴訟の多い国なのでありとあらゆる場合を想定して契約書が書かれているからであってアメリカ人もできればそういう事は避けられるならば避けたいと思っています。

また実際にアメリカ人が本当に100%言いたいことを伝えたいのでしょうか?実はアメリカで暮らしていてアメリカ人が話をしているのを聞いていると見事なまでに話が食い違っていながらも会話をしている光景を見かける事があります。100%言いたいことを言ってはいますが明らかに必ずしも伝わっていません。よくあるのが「それどういう意味?」とか「これじゃわからないかな?」と言いながらも物を言う事。同じ事を何度か違う言い回しで言い直す、という事はよくある話です。そう考えると「100%言いたいことを伝えたい」という図式もかなり危うい物になってしまいます。

また僕と同じ様に英語は論理的かどうか?という疑問にこういう事を書かれている方もいます。ここでは「それは単に『論理的に書かれた英文だけ』を読んでいるため」ではないか?としています。他にもこちらにも別の視点からこう書かれています「何をもって『論理的ではない』かをしっかり定義づけしていないことがほとんどだからだ」更には本音と建前という考えが日本にはあるから論理的ではない、という議論がよく出てくる、という趣旨の事が書かれています。その上で「欧米人がいつも本音で語っているかと言えば、それ自体が建前になる。そして欧米人がすべて論理的かと言えば、これも建前」と書かれています。これは実際その通りです。建前や本音という概念は日本よりは希薄ではあっても存在しないわけではありません。そもそもアメリカ人の多くは論理的に物を考える事ができない人がほとんど。だからこそアメリカ人の四割以上が未だに創造論を信じて疑っていないわけです。でも落ち着いて論理的に考えて様々な証拠を検証していくと進化論が間違っているとは到底思えない、という結論に達するはずです。それができない人が四割以上いるという事は少なくとも四割の人たちが論理的に自分で考えていない、という事になります。

日本語が非論理的な言語である、という主張に僕は全く同意できませんがそれ以上に英語が論理的な言語であるとは僕には全く思えません。そもそも「言語が論理的である」とはどういう意味なのか?という定義すらが曖昧。その定義をしない限りは何が論理的で何が非論理的なのかの判断ができるわけがありません…。そういう主張をしている人の多くは日本語廃止論者、もしくは英語崇拝者、あるいは少し話をかじっただけでそれに賛成する様な特に自分の意見を持っていない人たちなのではないかな?という気がしてなりません。

日本語の曖昧さもこれはこれでいい事です。日本人特有のはっきりと物を言わない奥ゆかしさや表現のしかたなどは世界に誇れる事なのではないかな?と僕には思えてなりません。僕は日本人でもかなりはっきりとズケズケと言う方ですがそれでもアメリカ人と比べると明らかに奥ゆかしいらしくそのせいで「表現が繊細」と言われる事が時々あります。特に女性にそう言われる事が多いです。英語が論理的で日本語が非論理的だという考えをする人は一度、日本語の素晴らしさを見つめなおしてみてはどうだろうかな、とつくづく思います。

« 2015年5月 | トップページ | 2015年7月 »