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2015年7月

2015年7月28日 (火)

出張(2015年夏)

久しぶりに今週は出張です。今回はロングアイランドの国立研究所。別に今週でなくてもよかったのですが諸般の事情から今週が一番都合のよい週であろう、との事で今週になりました。僕が元々予定していた事はそれほど多くないので月曜日の早朝に出て金曜日の夜にはオマハに戻るというまあ短い出張です。

今回の一番の目的は十月にオーストラリアのメルボルンで行われる学会での発表に関連した作業です。加速器などの制御系の大きな学会の次の開催地がオーストラリアになるらしいと聞いたのが二年ちょっと前に行ったオックスフォードでの別の学会での事。最初は行けないだろうなあ、と思って気にしていませんでしたがよくよく調べたら何とうちの大学の秋休みと同じ日程。休みと同じ日程という事は教えていても行く事ができるという事なので昨年から「どうやって行こうか?」と画策をしていました。

最終的にはそれなりの考えがまとまり、ボスに話を持ちかけたのが今年の一月の半ば。既にCERNの人たちとも若干の話をして何とかめどが立つ様にはしてありました。それからアブストラクトを提出したのが二月の終わり。当初は大学院生が一人、参加していましたが結局何もしなかったので僕が自分でプログラムを書く事にして何とかプロジェクト全体のめどがついたのが今年の五月になってから。それでも二日程でプログラムをほぼ書き終えて実験室でテストもしたので後は実際に実験場でテストもしておしまいの予定です。実の所は実験場でテストをしなくてもまあ何とかなるのですがアブストラクトに「実験場でテスト」と書いた手前、やはり行かなくてはならないので実質、三日間のみの短い出張です。

元々はそれだけのはずだったのですがだんだんと予定が変わっていきまずは六月に実験が終了してから後のミーティングが行われていないのでそれを僕がいる週に持ってくる様になり、それから三月の頭に僕がやる事に決定した別のプロジェクトの打ち合わせを現地の人たちとする事になり、また更にはこの数週間の間にこれまで使っていた古い組み込みコンピューターの代わりになる新しい組み込みコンピューターの使い方がようやくわかったのでその実証に使うための部品を持ち帰ってこなければならない、などだんだんとする事のリストが長くなっていきました。まあ仕事で行くので当たり前と言えば当たり前の話なのですが…。

実は今週行く事になったのはもう一つ理由があります。僕の彼女がほぼ同じ時期に学会に出席するので留守なのです。僕の場合はいつでもいいのでならばいっその事、同じ時に僕も出張に行けばいいや、と判断をしたのです。彼女の方はカナダのエドモントンで開催されている学会に出席するのに金曜日の朝に出て行きました。水曜日までの学会らしいので戻ってくるのは水曜日かもしくは木曜日のはずです(実は聞いていないのです、そこまでは)。僕の帰って来るのは金曜日の夜なのでまあ来週は会えない計算になるのですが…。

せっかく東海岸に行くのでいつもの様に今回もおいしいお寿司を食べに行く予定です。当たり前の事ですがオマハよりもずっと新鮮な物が食べられますから。他にもいつもの様に魚介類を食べられる店に行ってまあ何とかなるであろう、と思っています。月曜日に行って金曜日の夜にオマハに帰って来るので日数的にも短いので今回は宿舎で自炊はない物、と思っています。まして夏の今頃は宿舎は学生で溢れかえっていてキッチンが事実上使えないであろう、という事もありますし…。それも想定内の話です。

さて月曜日の飛行機は六時十五分オマハ発なので迎えが来たのが朝の四時四十五分。当然、それに間に合う様に起きなければならないので起きたのはその一時間前の三時四十五分。早起きの僕にしてもまだ早いです。途中、道路工事が行われていたので若干の迂回をしたぐらいで後は無事に空港に予定通りに到着。空港でしばらく待ってから搭乗です。

Omaha_flight

今回はシカゴで乗り換え。シカゴにも無事到着。まずは朝食を食べてから次の飛行機のゲートまで向かいました。シカゴからはニュージャージー州のニューアーク空港まで飛ぶのですがゲートがなぜかちょっと外れた所。シカゴ・ミッドウェイ空港のA4ゲートってずいぶん他のゲートから離れた所にあって初めて使いましたが外れた所にあるので静かでかえってよかったのかも知れません。うるさくなかったですし…。

その反面、空港設備の監視がどれだけ行き届いていたのか?と不思議に思う事もいくつかありました。例えばゲート待合所の所にあった売店。閉まっていたわけでもなく(閉店の表示がない)むしろコーヒー淹れなどの状態から判断するに開いているはずなのですが誰もいない状態…。その手前にある売店では客が並んでいるにもかかわらず自分が休憩なので休憩に行くのを優先して客が何を欲しいのかを聞かずにそのまま出て行くというちょっとアメリカでも普通は考えられない事をされてしまいました…。コーヒーを欲しかっただけなのにエラく時間がかかってしまいました。空港でも辺境で人が来ないとサービスも悪くなるのかなあ、と考えてしまいました…。

さてニューアーク行きの飛行機は満席。満席どころかオーバーブッキングされていたらしく次の便で行ける人を探していました。僕の場合は今回は今日中にたどり着けばいつ到着してもあまり変わりがないので一応、考えましたが僕よりも先に誰か他の人に先を越されてしまった様です。まあどっちでもいいのですけどね…。

Newark_flight

ニューアーク空港に到着してから先がキツかった。これまでラガーディア空港とロングアイランドのマッカーサー空港から国立研究所に行った事はあったのですがニューアーク空港からは初めて。そこから車を運転していったら三時間半ぐらいかかりました。途中で道を二度ぐらい間違えてマンハッタンを通過して一度、事故になるか?と思うぐらい怖い目にあってようやく到着です。なれない事をする物ではないですな…。

Bnl_room

予想外に到着するのに時間がかかったし疲れたので今日はここまで。明日、火曜日から仕事です。

2015年7月19日 (日)

誕生日(2015年)

七月十四日は僕の誕生日です。実は僕の育った家では基本的に誕生日をどうする、という事はあまりなく祝ってもらえたのは基本的には小学校六年生まで。それ以降は誕生日ってまああってない様な物でした。簡単なお祝いでどこかに外食という事はあっても中学の頃からはプレゼントをとんと貰った記憶がありません。もちろん、逆もしかりなので他の家族のメンバーの誕生日を考えなくてもいいという事もあるのですが誕生日を祝ってもらえた記憶があまりありません。

大学からこっち、日本を離れてからもあんまり状況は変わらず、自分の誕生日を人に祝ってもらった事はほぼないに等しいです。せいぜいで25歳の頃に一度、友人たちが僕の誕生日を集まるネタに使ったのとその次の年だったかにその当時、ちょっといい感じになっていた子が祝ってくれた程度。強いて書けばCERNに駐留していた時にボスが食事に連れて行ってくれたぐらい。ほとんど個人的には縁がこれまでなかった年中行事です。

それでも働き始めてからしばらくは自分の誕生日に何か物を買う、という事はしていたのですがそのうちに物欲もだんだんとなくなってきて気にしなくなっていきました。一部にはだんだんとそれなりに裕福になって行ったので我慢してお金を貯めてから何かを買うという事がなくなった事もあります。またさすがに誕生日には少しいい物を食べようか、という事で少しいい物を食べたり(と言っても自分で作るのですが)という事はした年もあります。

その反面、ある年は朝から夜までずっと忙しくて自分の誕生日であった事をほぼ自覚しなかった年もありました。また近年では日本にいて金沢の兄の所にいたにもかかわらず基本的に誰にも祝ってもらえず周りに人がいながらもっとも孤独な誕生日だった事もあります。そういういきさつで三十代までには誕生日は「まあ普通とあんまり変わらない日」という認識でしかなくなっていました。

僕の個人的なスタンスを言わせてもらえば基本的には誕生日ってその直前に人に言うのがなんだか嫌らしく感じられてなりません。なんだかプレゼントをたかっている様な気がして嫌なのです。だから基本的には聞かれたら言うけどこちらからあえて言う事はない、そういうスタンスです。もっとも誕生日から離れた時にそういう話になっても現実には誰も覚えていてくれないのですが…。

一月の末から彼女ができた今ではもちろん、その趣もかなり違っています。正直なところ、他の誰にも何も言われなくても全然問題はありません。彼女が僕の誕生日を祝ってくれさえすれば何でもいいと思っています。二度目のデートの時だったでしょうか、たまたまデザートを食べに入った店で隣の席の誰かが誕生日だったらしく店の人たちが全員で誕生日の歌を歌いながらケーキを持ってくる、という事がありました。まだ二度目のデートだったのでお互いの個人的な事はそれ程よくは知らなかったのでその時にお互いに「誕生日はいつ?」となりました。

それがあって四月の彼女の誕生日にはプレゼントを一生懸命考えて作る、という事になったりもしました。もちろん、僕の方では大事な大好きな彼女の誕生日だから、という事もありましたしあまり高価な物だとどう思うかな?という心配があったから手作りに、としました。

僕の誕生日の話も何度か彼女と話をしていて出て来ていて例えば三月だったかに彼女と話をしていて彼女に「誕生日、何しようか?」と聞かれた事があったり(この時は彼女の誕生日前だったので僕は自分の誕生日などは遥か先の未来扱いでした)、また最近では僕の誕生日の少し前まで出張で留守にしなければならないけどそれでもいいか?と彼女が聞いてきたりという事もありました。まあ明らかに僕の誕生日の事を気にしていたわけですね。彼女の方ではその段階では僕があんまり自分の誕生日に思い入れがない事は知らなかったのですがその話をしたら「じゃあ今年こそ何かしないと」との事。

実はその事についても僕自身が自分の誕生日に何をして欲しいのか?という事をしばらく前に考えてみました。考えて考えてみてたどり着いたのが「何にもいらないから彼女と時間をただ過ごしたい」という事。元々それ程物欲もないので何となく満たされているので一番したいのは彼女と時間を過ごすという事ぐらい…。そういう意味では彼女と旅行に行きたいとは思うのですが彼女の仕事と僕の仕事のスケジュールを考えると難しい。更には彼女の方ではまだそういう気持ちの整理がついていないとわかっているのであえて押す事はしません。

五月の終わりのある日、彼女からメールが届きます。見ると彼女は僕の誕生日の直前まで共同研究者たちと研究発表をああだこうだと相談、議論する為にニュージャージー州まで数日行く事になるからいいか?との事。お互い二人ともお互いの仕事は大切にしよう、と決めているので僕は「仕事で大切な事だから僕の事は考えずに行きなさい」と返事をしておく事に。まだ研究者としては若い方の彼女にとって共同研究者と顔を合わせて話し合うのは大切な事。それでも心配して僕にそう聞いてきたのは思わずかわいい、と思ってしまいました。

実際の誕生日の頃は彼女の方でも月末の学会に行く準備で大忙し。僕はそれをよくわかっているのでそれほどあれしたい、これしたいを言わない事に。そもそも彼女と時間を過ごせるだけで僕はいいのですから…。その彼女からは朝一番でメールで「誕生日おめでとう」と届いてうれしい始まりでした。なんでもない事なのですがそれだけで一日が明らかに変るのですから不思議な物ですよね。

その日は割りと早くに仕事を切り上げて午後早くに帰宅。もっとも家に帰ってからも遠隔操作で仕事をしていたのであんまり意味がないといえばなかったのかもしれませんが…。それでもその夜は彼女とデート。その日はおそらくオマハで一番おいしいイタリアンを食べに行きました。プレゼントを調達してあるらしいのですがまだ届いていないからごめんね、と申し訳そうに言っていました。一体何を買ったのだろう?と不思議なのですが(それからまだ届いていないのかまだ貰っていないので不明です)。

それでも大好きな彼女と過ごす事のできたそういう一日でした。実はその日は朝からする事なす事すべてうまくいったそういう一日だったので満足。半年ぐらい前から時間があった時にずっとやっていたけど壁にぶつかっていた研究が急にできる様になったり(それが一番大きな仕事での収穫)、予想外の大仕事と思われた事が簡単に終わってしまったりとそういう日でした。その上で彼女とデートできたので僕としては満足でした。

また、彼女にはこれを見せました。

Wrist_band

以前にも一度書いていますがこれは僕が生まれた時に僕に付けられた腕輪。丸く戻してみてよく見て思ったのがなんと細い手首だったのだろう、という事。指二本程度の太さしかなかった事になります。そう考えてみると母に産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう、とそんな気持ちでいっぱいになってしまいました。

ともあれ今年の誕生日はそういう一日でした。これからもこういう誕生日がいつまでも続いたらいいな。

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