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2016年3月

2016年3月20日 (日)

停電

ちょっと話は前後してこれは出張の前の週の火曜日の話です。たまたまポスドクのA君がBNLにしばらく来る事になった事に関連した事をS先生と話をしないとなあ、と思ってS先生のオフィスの前でパソコン片手に仕事をしていたら突然、廊下の照明が全部消えました。その場所の照明が全部消えるはずがないはずなのにもかかわらず、です。防犯や安全関係の問題で廊下の照明はいくつかは点きっぱなしで消すことができないはずなのですが…。ブレーカーでも落ちたのか?と思って近所の別の先生に聞いてみたら電気が全くない、との事。

その段階でブレーカーどころではなくどうも停電らしい、と判断をしました。ところがおかしな事に一部では照明がちゃんと機能しています。おかしいなあ、と思いながら実験室の分析計が心配なので実験室に向かいます。実験室もやはり同じ状態で電源が入る物と入らない物が混在している状態。どういう事?と思っていたらその直後に今度は照明がちらつく様になりまた電源が入っている分析計のディスプレイもちらつく様になり始めました。電圧が安定しない状態になっていたのでこれはまずい、とのことで分析計の電源をすべて落として対処。それが終わって今度は分析天秤もおかしいので電源を落としてコンセントを抜いて、さらにもうひとつの実験室にある自動滴定装置も電源を落として、とやっていたら今度は完全に電気供給が停止…。停電してしまいました。

どういう事?と思いながら聞いてみたらどうも建物の停電どころではなくキャンパスの少なくとも半分が停電らしい、との事。一部にはディーゼル発電で電力が供給されるはずの非常電源があるのですがそれらも機能していない状態。それこそがどういう事?という状態。非常電源が機能し始めるまでにそれから数時間。教室も真っ暗なので授業もできない状態。

結局、午後になってから一部の照明が回復した物のコンセントはディーゼル発電機に繋がっている非常電源以外は使えないまま。非常電源に薬品の冷蔵庫と冷凍庫を繋いでまわってようやくすべてが終了したのが五時半すぎ。電気の復旧のめどが立たないまま、キャンパスの数カ所で巨大な移動式の発電機が設置されて始めていました。それを見た時に「これはしばらく停電したままだな」との判断をしました。

その段階で判明したのがキャンパス全体に電力供給していた二本の高圧線の一つがまずショート。それで半分がやられてもう一本に負荷がかかったのでそちらもしばらくしてからショートしてしまったのが原因らしい、と設備の人から教えてもらいました。それではさすがに問題があるので翌朝までの予定で移動式の発電機からキャンパスに電力を仮にでも供給しようと設置されている事を教えてもらいます。

うちの大学にきてこれで随分になりますがなんとこういう事があるのだなあ、と呆れるやら関心するやら…。おかげでその日はとても過酷な一日でした。特に冷蔵庫と冷凍庫は僕が何とかしなかったらどうするつもりだったの?と思うぐらい。中には停電がしばらく続くとわかったらすぐに帰ってしまった人もいるぐらい。自分の実験室の冷蔵庫や冷凍庫の対処もせずに、です…。

結局、電力が戻ったのは夜の十二時ちょっと前。電力が戻り次第、僕のiPhoneに様々な方法で通知が来る様に設定してから帰ったので夜中に一度、たたき起こされました。翌朝に聞いた話ではその段階ではまだキャンパスは電力会社から電力の供給はされていなくてすべての電力は発電機から供給されている、との事。前日の夜に設備の人から聞いた話と同じです。

ところがその日の朝の九時半にまた停電。結局、三、四十分程停電していました。僕は発電機からの供給が電力需要に追いつかないからなのか?と思っていたら発電機の燃料が切れたから発電機が停止したという嘘みたいな話が原因と聞いてこれまた呆れてものも言えませんでした…。いったいどうしたらそんな馬鹿みたいな事があるの、それも発電機の周りでずっとみんな作業をしていて?と思ってしまいました。

さてその段階で電力会社から送電されてはいないのでそのうちに計画停電があって切り替えるのだろうなあ、と思われたので分析計はすべて電源を落としたまま。そもそもの予定では電力が戻るまでは立ち上げない予定でしたが金曜日の午後になってから「春休みの間に学生が質量分析器を研究で使いたいから」との事で頼まれる事に。僕はあまり乗り気ではなかったのですが渋々、そうする事に。土曜日の朝の段階では真空引きもよく全く問題がない状態だったのですが土曜日の午後になってからまた停電…。それも何度も。ほとんど予告無しに大学が電力会社からの電力供給に切り替える事にしたらしいです。もちろん、その段階で質量分析器は停止。仕方がないから「停電で無理」と依頼の来た先生にメールで返信をして諦める事に。その日の夕方にはBNLに行く予定になっていたのでもう手の尽くし様がありませんでした。

その後も結局、何度か停電の影響が春休みの間にあった様で春休みから一週間たった今でもいろいろな問題が見つかっています。まだまだしばらくは停電の影響でやられたものがあるのだろうなあ、と思われます…。電力がないと本当に仕事にならんなあ、と思うそういう一週間でした。ちなみに電力は電力会社から供給はされていますが未だに仮接続になっているとか。いったいいつになったらちゃんと接続されるの?といろいろと考えてしまうこの頃です。

出張(2016年3月 その2)

* 一週間遅れでこの記事は書いています。

今回の出張の最大の理由はポスドクのC君からA君への切り替えの補助と学生の面倒をみる事でした。で、成功したのか?となります。結論から言えば大成功と言えるかと思います。A君に教えられる事をすべて教えてさらに学生のS君も予定していた事をほぼすべて終了。またA君はBNLに駐留しながらもCERNの実験の仕事をするのでそちらの方も同時に教えるという事も土曜日にしてともあれ無事に出張の項目をすべて終了させる事ができました。

もちろん、出張に行ってすべての事が順調に進むわけでもありません。BNLに到着してからその日はすぐに就寝。翌日の日曜日の午後にまずA君をJFK空港まで迎えに行き、その足ですぐにLGA空港に向かって今度は学生のS君とM君を回収します。たまたま到着時間がちょうどいいぐらいずれていたからできた芸当です。それから一路、BNLへ帰還します。

月曜日は朝一番でまずはBNLにやってきたという登録をしてそれから実験場へ向かいます。それから仕事。夕方にボスを駅まで迎えに行ってそれから少し仕事をしてその日は近所で夕食を食べて宿舎へ帰還。火曜日からは毎日、みっちりと仕事です。

出張期間に一番の問題があったのは金曜日の午後の話。昼食後、実験場に戻ってきたら検出器の制御に使われている組み込みコンピューターを再起動させたら再起動できないとの事。しばらく右往左往してからどうもこれは制御系統に問題があるのではなくコンピューターのセキュリティの設定の問題らしい、とそのうちに判明。幸い、STAR実験のコンピューターのエキスパートが手近にいたので事情を説明したら割と簡単に復旧。その後、一時間程してから再び同じ問題が発生して根本的に直さなければならない、との事。その旨を翌日のミーティングで報告する事を約束してその場は何とか解決。それでも一時間以上は実験が停止したので申し訳ない、と思ったのですが後で「もっと何時間も停止すると思っていた」とシフトリーダーから教えてもらってちょっとホッとしました。

土曜日の昼前にその報告などを兼ねて実験場に行っていたら同じ組み込みコンピューターがまた再起動しないとの事…。今回は症状が違うという事で見てみたら前日よりももっと早い段階で再起動できなくなっていました。これは再起動ではなく電源を完全に一度落としてからまた電源を入れる必要があるな、と思ったら電源を落とす事ができません。電源の制御ができなくなっていたのです。電源はすべてフィールドバスで繋がっているのでそのコントローラーを再起動する必要性があるな、と判断をしてコントローラーを再起動。それが終了してからようやく電源を落としてまた立ち上げてようやく復旧しました。こちらはたまに起こる想定内の事だったので無事解決です。

後は夜中に緊急呼び出しもなかったしまあよかったなあ、と思います。僕は制御のエキスパートとして現地にいた事は期間としてはそれほど長くはありませんが何年も関わっているのでだいたいの見当はつきます。だから土曜日の問題は見た時に「ああ、こういう事か」と見当がついたのですぐに解決させる事ができました。こればかりは経験なのでどうしようもない事ではあります…。

その夜は行きつけの日本食レストランへポスドクのA君を連れてお寿司を食べに行ってきました。A君は「ちゃんとしたお寿司を食べるのは初めて」との事。貧乏学生だった時代が長いからそもそも外食をしないので、との事です。

その後でふと思ってオマハまで帰る飛行機の座席を確認する事に。最近は大学の政治的な事情で自分で航空券を買う事ができず、旅行会社を通して買わなければならないのですが「窓際にして下さい」と指定しても何故か通路側になっている事が多いので確認をしておきます。当然、航空券を買ったすぐにチェックをして変更できるならば変更するのですが帰りの便だけは満席で変更ができなくなっていたのです。が、何故か空いている窓際の席があったので空いているうちに変更しておきました。直前だと意外にできる物なのだなあ、と思いました。

最終日の日曜日は午前中に少しだけ実験場に行って仕事をして午後は宿舎付近をぶらぶらとする怠惰な日曜日でした。飛行機がLGA空港から夜の九時なのでBNL出発も四時過ぎで余裕。結局、四時半に出発しました。

LGAまでは途中で渋滞があったりして到着したのは六時過ぎ。まあまあの時間です。セキュリティを通過してからまずは夕食。散々考えた末に結局、少しはいいものを食べたいと思ったので空港のレストランに入りました。最近は若い頃と違って少し良い物を食べられる時に食べよう、と思うようになってきたので時々、そういう事をします。メニューを見たら前菜にエスカルゴに鴨のコンフィがあったのでそちらを注文。安くはなかったですが美味しかったです。

オマハまでの飛行機は満席。満席どころかオーバーブッキングされていて「千ドルで明日の飛行機にする人」の斡旋をしていました。一瞬、僕もやろうかな?と思ったのですが仕事に行かないわけにはいかないので(まあ何とかなるといえばなるのですけど)やめておきました。これが土曜日の夜の便だったらきっとやっていたなあ、とは思いましたけど…。

今回はオマハまでの直通だったので乗り換えもなく楽といえば楽でした。飛行機が小さいので手荷物が入るのか?と思いましたが問題なく頭上の荷物入れに入りました。ある程度は早いもの勝ちですけどね、当然の様に。今回は荷物を減らせるだけ減らしたので預けずに手荷物だけ。そういう意味でも乗り換えがないのは楽といえば楽でした。

さてオマハには定刻に到着しました。今回は飛行機の時間の関係から僕の飛行機の三十分後にシカゴからオマハに到着するはずのボスが家まで送ってくれるはず予定になっていたのですがシカゴで飛行機の乗り換え時間が短いから別の誰かに僕を家まで送ってくれるとかどうとかいう話でした。オマハに到着するまでどうなったのか全くわからない状態でした。到着してみたら無事にシカゴーオマハ便に乗れそうとの事。しかし予定外の事態で手荷物を預ける事になったとの話。

結局、ボスの飛行機は予定通りに到着したのですがその後、預けた荷物が出てくるのに四十分以上待つ事になりそれから車を回収してだったので家に帰ったのは午前一時過ぎ。それから必要最低限の事をしてから寝て通常時間に起きたら結局寝たのはたったの三時間。翌日は眠くて辛い一日でした。その後も結局、寝不足が解消するのに一週間ぐらいかかった様な気がします。それでもともあれ無事にオマハに帰還です。

2016年3月 7日 (月)

出張の日に(2016年3月)

元々は一月ほど前に出張の予定だったのですがその段階で出張に行くとどう考えても潰れてしまうと判断をして結局、延期になった出張の振替の出張が春休みの今週です(がその一方でどっちみち春休みだから出張に行ったのか?という気もします。そうなるとただ単に出張が一つ減るだけなのか?という気もします)。

が、その前に春休み恒例のボーイスカウトのボランティアがまずありました。昨年は諸般の事情でボーイスカウトのボランティアが一週間早く行われたのですが今年は例年通りに春休みの頭の土曜日に開催されました。その関係上、夕方の飛行機なのですが朝から荷物をまとめて職場へ向かいます。ボーイスカウトを終わらせてから空港に行けばまあちょうどいいぐらいになる、と判断をしたからです。朝六時半に大学院生に迎えに来てもらって職場へ向かいます。

僕の役割はこの数年と同じくガイガーカウンターを使って放射線の測定実験です。今年からはガイガーカウンターが新しくなって放射線を検出するとピッと音が鳴るのですが、この音を消す事ができない。その上、実験を行っている時だけでなく電源が入っている間はずっと音が鳴るので実験室に二時間半ぐらいいたらああ、うるさかった、と本当に思いました。

また相手がボーイスカウトの子どもたちなのでちょっと端折って背景放射線を計測せずにいるのですが当然の様にそれにも音が鳴るのでそれもちょっと心配でした。何にも放射線がないはずなのにどうして音が鳴るの?と聞かれるか?と思っていたのですが結局誰にもそういう質問はありませんでした。

ボーイスカウトのボランティアが無事終了してから研究室に朝、放り込んでいた荷物を回収してボスに送って空港まで向かいます。今回はラガーディア空港に到着するのが夜の十一時すぎと遅く、そこから更に運転しなければならないので荷物を軽くして手荷物だけで済ませます。また今回は荷物を預けるのが二つまで無料のサウスウェスト航空ではなく25ドルの料金を取るデルタ航空なので預けないほうが有利という判断もしました。それでもさすがに手荷物程度の荷物だけで一週間はちょっとさすがにちょっときついので少しだけ翌日合流予定の学生たちに持ってきてもらう事に話を最初からつけてあります。

さてオマハからはまずミネアポリスまでこの飛行機はまあまあ混んでいましたが隣は空席。オマハを早く出たにもかかわらず結局、ミネアポリスに到着は定刻。元々、乗り換えの時間が少ないなあ、とは思っていましたが案の定、ゲートからゲートまで走る事に。ゲートに到着した時にはラガーディアまでの飛行機はすでに搭乗し始めていました。いったいいつ夕食が食べられるのか?という気はしましたがまあ何とかするしかありません、こうなると。

ラガーディア空港までの飛行機もまあまあ混んでいましたが満席ではなく、隣はまた空席。そのおかげで割と快適ではありました。ラガーディア空港には定刻よりも若干、早く到着。すぐにレンタカーのシャトルに乗って一路、ロングアイランドを目指します。

さて今回の出張は元々は二月の出張の振替なのですが二月の出張が中止になってから行くはずだった週になって事情がかなり変わってしまいました。元々二月の出張はポスドクのC君がデータ解析の仕事をしないから専門家と仕事をさせるという理由でバークレーに送るという事だったのでそれが一月伸びた事になるはずだったのですがそのC君、なんとBNLの別の部署で今月の半ばから働く事になったのです。何が困るかというと実験が行われている間に現地に誰もいない事になるのです。その事についてはしばらくどうしよう?と揉める事になったのですが結局、うちのグループのCERNのポスドクのA君がしばらくBNLに来る事になってとりあえず解決しました。

そのC君は来週の月曜日(三月十四日)から別の部署に異動するのでちょうど今週、ボス、A君、学生二人に僕の五人がBNLに行ってできる事をできるかぎりする、という計画に変更となりました。CERNの方はどうなるか?なのですがこちらは来月、しばらく僕が行く事でカバーできるだけカバーする事にして(とりあえず)解決です。僕は来月の半ばまで身動きが取れないのですね、本職の化学の方で僕が必要とされているので。

本来ならば学生たちと一緒に行くのが効率がよかったのでしょうが僕の飛行機は一月の終わりに変更されてすでに決まっていたのでこれ以上は動かす事ができません。土曜日の夜に行くのもそうする事によってC君との一週間の間の引き継ぎを日曜日の朝にやってC君は午後にバークレーに行って、の予定だったのですが結局、僕だけちょっと無駄に一日早く行く事になってしまいました。帰るのも金曜日か土曜日がちょうどいいのですがこちらも学生たちが金曜日に帰るのに僕は日曜日の夜に帰る形になります。その間にA君と仕事をしようか、と思っていますけど…。

人数が多い関係上今回は宿舎もBNLのボロい短期の宿舎ではなく長期滞在向けのアパートなので若干、快適です。少なくとも夜中にトイレに行くのに寒い廊下を延々と歩く必要性がないことは確かです。

研究所に到着して宿舎の鍵をもらって部屋にたどり着いたのはもう午前一時近く。結局すぐに寝てしまいました。翌朝、起きてからまずシャワーを浴びてコーヒーを、と思ってキッチンの電気コンロでお湯を沸かし始めたのですが…いつまでたってもコンロが温まりません。仕方がないから電子レンジでお湯を沸かしてとりあえず解決。夕方にハウジングのオフィスが開くのを待って連絡をしなければなりません。

それから朝十時に毎日あるミーティングに顔を出しに行ってコントロール・ルームにも顔を出してきてから宿舎に戻って午後まで待機です。午後には学生と同僚を空港まで回収に行く予定です。

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