日記・コラム・つぶやき

2017年12月20日 (水)

ジュネーブから金沢へ

先々週ぐらいに自分の仕事を終わらせてしまったのでこの二週間程はそれほど忙しくないそういうちょっとゆったりとした日々でした。そうゆう中、遂に年末近くになり、年末年始の帰国の日になりました。

アパート引っ越しの時にも書きましたが、最後の数日はCERNの宿舎でした。荷物のほとんどはオフィスだったのでオフィスが基地となってでしたけどね。

相変わらず起きるのが早いので出発当日も早い時間のバスに乗って空港に向かいました。遅いよりも早いにこしたことはないですから。

今回の帰国はまだ転職が決まる前、十月頃に決めました。ポーランドの航空会社ですがとにかく安い。ジュネーブ成田の往復で何と、6万5千円。どうしてこんなに安いの?と思うぐらいです。しかもワルシャワー成田の飛行機はボーイング787と最新鋭。乗り換えがワルシャワとちょっと変わった所ですがその値段なら、と購入しました。

相変わらず荷物が少ない僕。スーツケースを持っていないのでダッフルバック二つです。

Img_0284
大きな方には木箱に入ったスイスワインが一本にチョコレートにフォンデュ陽のチーズ。小さな方にはフォンデュの鍋がダンボール箱と緩衝材とともに入っています。フォンデュ鍋の中にはクリスマス用のオーナメントまで入れてあります。そう、今回はお土産を用意してあるのです。アメリカ、それもオマハではなく今回はジュネーブからなのでお土産として喜ばれる物があるのですね。

最初は大きなのだけを預けるつもりだったのですが、なんと、2つまでは無料なので結局、空港でどちらも預けて今回は本当に身軽にしました。どちらにも割れ物が入っていますが多分、大丈夫だろうと信じて、です。

さて、ジュネーブからワルシャワまでの飛行機はガラガラ。

Flight
離陸直後にはちょうどCERNの僕のオフィスの真上あたりを通過して行きました。そうか真上を時々通過する飛行機の一つなんだな、と認識しました。

Cern
日本との時差を考えると寝ておいた方が明らかに有利なので半分以上は寝てました。

ワルシャワでは出国管理のお姉さんにちょっと尋問されました。シェンゲン地域に最後に入ったのが随分前なので「どういう事?」と思われたのですがスイスカードを見せたらすぐに通してくれました。

お姉さん曰く、「シェンゲン地域に入ったのは随分前にポルトガルなんだけど?」おかしいなあ?と思って後でパスポート見たらいえいえ、最後は五月にパリのドゴールでしょう?まったく何を見てるの?ですが向こうは役人ですししかも通過した後なので文句も言えません。しかしまあ出ていく分には関係なくないかい?と思うのですけどね?

ワルシャワから成田の飛行機もかなり空いていました。すぐ隣は空席。通路側にツアーでやって来ていた感じの日本人の女の方。日本人はほとんどみんなツアーだったみたいです。

さて、成田に到着したのは予定よりも少し遅れた時間でした。その上で荷物の出てくるのが遅い事!おかげでようやく通関した時には思っていた成田エクスプレスには乗れず、もう一本後のに乗る事に。それによって自動的に金沢に戻るのも思っていたよりも一時間遅くなり金沢に着いたのは午後四時半。やはり金沢は成田からはまだまだ遠いなあ、と実感しました。

2017年12月11日 (月)

モントルーのクリスマスマーケット

ジュネーブのクリスマスは地味です。宗教革命の時代にカルヴァンの本拠地となったジュネーブはカルヴァンの教えの影響で質素で倹約が未だに生活に結びついているのでジュネーブのクリスマスは本当に地味です。一応、駅の方にマーケットのようなものがないわけではないのですが少しお店がある、という程度なのです。

しかしやはりヨーロッパのクリスマスと言うとクリスマスマーケットを考えてしまいます。ドイツのクリスマスマーケットは有名ですが実はスイスでも行く所に行けばちゃんと盛り上がっています。当たり前にドイツ語圏が多いですが、それでも以前、2009年のクリスマス頃にCERNにいた時にはクリスマスにはどこにも行かなかったのでその時に一度、スイスのフランス語圏では一番大きなモントルークリスマスマーケットまで行ってきました。そういう話を日本人の学生の子たちとしていたら行きたい、というので先日、モントルーのクリスマスマーケットまで行く事にしました。

調べてみたらなんと、この時期にはモントルー近くのシヨン城でもクリスマスマーケットに合わせたイベントとして中世の格好をした人たちがボランティア(なのか?)でいるとの事。シヨン城は僕は前にも行っていますがそういう事をしている時期には行った事がないし学生たちは誰も行った事がないのでではシヨン城にまず行ってそれから、という事に。

行くのはまあ当然の様に週末。週末でもどの日に行くか?という事もありましたが結局、お店がどこも閉まっていてすることがそもそもあまりない日曜日に行く事にしました。クリスマスマーケットもシヨン城も日曜日でもちゃんと営業していますがジュネーブの街は基本的にはどこも開いていませんからね。

色々と調べて結局、3日の昼過ぎにCERNを出て一路、モントルーまで。モントルーでバスに乗り換えてまずはシヨン城へ。

Chillon1

僕は以前、二度ぐらい来た事があるのですが最初に来た時にどうやって誰と来たのかさっぱり記憶にないです…。二度目に来たのは2011年の1月。その時期にはもう中世の服装をした人たちが、という事はなかったです。

Chillon2

中世のイベントが行われていたので城内はかなり人が来ていました。まあ日曜日で他に何もする事がないのもあったのかもしれません。

Chillon3
Chillon4
Chillon5

さてシヨン城を後にしてバスに揺られて十分ほどでモントルーに戻ります。行く数日前に雪が降った事もありこの日も夜は寒かったのでまずはヴァン・ショー、ホットワインから。とりあえず身体を温めます。

Vinchaud
それから次に夕食。幸い、マーケットでは食べるところも沢山です。食べたところで次はお店を見てまわります。

Market_map

マーケットは湖畔にあります。だから湖畔ではこのように何やら光るものが浮かんでいました。

Lake

そしてほど近くにはフレディ・マーキュリーの銅像が。

Mercury

他にもクリスマス用にあちこちで雪だるまとかがいたりホテルにもいろんなものが投影されていたりしていました。

Snowman
Hotel
マーケットはこんな感じです。

Market1
Candy1
Candy2

マーケットでの任務は「クリスマス用のオーナメントを買って来る事」なので色々と探してみました。そこで見たのがこのお店。

Glass

もともとガラス細工を少しできるので興味もあり、小さいのをいくつかこのお店で購入。全部、手作りだとか。他にも別のお店でセットのオーナメントを購入。全てなんとか無事に金沢まで持ち帰らないといけませんがそれはまた別のお話。

学生たちも楽しんでくれて寒いながらも楽しい日曜日でした。

2017年11月22日 (水)

近況(2017年11月)

すっかり放置状態になっているこのブログ。実はしばらく前から何度かアップデートしようか、とは思いながら諸般の事情で延ばし延ばしになっていました。実はこれにはれっきとした理由があります。何かって?実は来年の一月末で大学を辞めて南フランスの研究所で勤め始める事が決まったからです。というかもっと具体的には転職先をずっと探していてその間は書きたくても秘密漏洩を恐れてあえて書かなかったのです。

その前に少しだけこの一年ほどの状況を説明しておきますね。実は諸般の事情で今年(2017年)の二月からずっとCERNに来ています。五月には日本で学会があったのでそちらにも参加。そのあたりにふとある日、メールリスト経由で見たのがスイスのPSI、パウル・シェラー研究所の制御グループの求人。もともと、近年になってから大学の方針や学部内の協調性のなさや僕に対する理解度の不足などから不満をかなり抱えていたので転職してもいいかもしれないか?と思いはじめていたのです。

更にはそれほど優秀とはどう考えても思えなかった元ポスドクが現在、BNLのNSLS-IIの制御グループで働いているという事実もあり、「あいつにできて自分にできないわけがない」と思っていたのもあります。他にもアメリカが国として変な方向に進みつつある事実などもあり、それならいっその事アメリカ以外で仕事を探してみるのも悪くはないなあ、と思うようになったのです。

性格が性格なので善は急げで大阪にいる間に手元にあった履歴書の手直しをして適当にカバーレターを作成して送っておきました。たまたまその求人の責任者が面識のある方だったし更にPSIに数名の知り合いもいるしまたPSIで開発されたツールをけっこう多く使っていたのもあります。

その時は「まあとりあえず出してみて小手試しだなあ」ぐらいにしか考えていませんでしたがそれからCERNに戻ってひと月ほどしたある日、メールで「面接に来てくれ」といきなり言われたのでPSIのあるフィリゲンという村まで行って来ました。

結果的に面接その物はすごくいい感じでしたが採用まではいたらず、でした。結果が出るのを待つ間に「アメリカに戻らない」という決意を固めたのです。だから不採用通知が届いてからふと見かけたのがこの南仏の仕事。実はその数週間前にやはり同じメールリストで届いていたメールなのですがすっかり忘れていたメールです。ここでは可能性が低いだろうけどなあ、と思いつつ、PSIに提出したのをまた手直しして送る事に。

さてどうなるかな、と思っていたらなんと翌週ぐらいに日本の事務局の方から連絡が来てスカイプ経由で話をする事に。どうやら日本も参加している国際研究所なので各国の事務局からノミネートされないといけないかららしいです。そういうシステムになっている事を知らなかったからビックリ仰天しました。日本の事務局の方の指示に従って履歴書などを多少手直しして締切に間に合う様に提出。

それから三週間ぐらいしてから遠隔面接をしたい、との連絡が届き、面接を受ける事に。しかしそれが何とバルセロナでの学会の最終日の朝。まあ遠隔面接なので行かなくてもいいからホテルから面接をする事に。最悪、電話で音声は、との事で電話番号も教えてくれと言われたのでバルセロナに入ってすぐにスペインのプリペイドSIMも購入。最悪、スペインの番号にかけてもらう事にしました。

面接はなかなか難しくそれなりに緊張しましたがなんとか無事終了。それから三週間ほどしてからメールが届き、何と、僕が応募した仕事には不採用だけどこっちなら採用するよ、という内容での不採用通知と採用通知が一緒になった何やらちょっと不思議なメールでした。たまたまその週には別の所に面接に行く予定が入っていたのでその別の所に面接に行ってとりあえず見てきてからやっぱり南仏の研究所に行く事に決定。その旨のメールを送信。少々、メールをやり取りして二月からそちらに行く予定で話がまとまりました。

それから一週間ほどしてからアメリカの大学の方にも一月末で辞めるから、とメールで教えました。この数年、まったく大学、それも化学のボスから冷遇されているなあ、と思っていましたが後で元同僚のM先生から聞いた話ですが何と、この秋学期になって僕が実験室の分析計を調整していないからボスもその作業に追われてすごく忙しいらしく、今頃になってようやくどれだけ僕が忙しく、沢山仕事をしていたか、がわかってきたらしいです。実はそうなるだろうなあ、とは思っていましたししてやったりとも思いました。引き止められるかな?何を言われるかな?とちょっと心配でしたが結局、問題がなく何にも言われませんでした。また辞めると言った段階で給料も切られるかな?とも思いましたが一月分もちゃんと出るみたいです。まあ今さら何を言われてもどうにもならない状態になってから教えましたからね〜。

ともあれ、こうして無事に南仏に転職が決まりました。十二月の半ばからはひと月ぐらいは日本です。その間にフランスのビザの取得です。それから一月にはアメリカに荷物の整理をしに一週間程度。それからジュネーブに戻って数日して今度は南仏に行くといろいろとしばらくはバタバタする事になりそうです…。

2016年4月13日 (水)

iPhone SE

iPhone SEを買いました。2011年頃の頭からずっとiPhoneを使っていますがこのしばらくはiPhone 6を使っています。その時にも書いていますがそもそも大きなスマホがあまり好きではありません。一年半ちょっと使って結局、馴れはしたけどどうしても気になる、というさなかでiPhone SEが発表されました。発表された時は仕事の関係でどうしても時間が取れず、後になってから発表された内容を読んで「これは!」と思いました。基本的にはiPhone 6sの小型版。僕が二年前に欲しかった物です。値段もお手頃なので数日考えて結局、購入する事に。

問題は今回は今月の半ばから三週間程CERNに出張に行くという事。だったらできればその前に欲しい、との事で結局、予約開始日に注文する事に。予約開始は木曜日の午前二時からなので水曜日の夜は八時半頃に就寝。二時前に目覚ましで起きてそれからパソコンとスマホの両方で二時に予約を入れる準備をします。最終的にはiPhone 6からアップルストアのアプリ経由で購入。ウェブストアでは買えずにアプリでは買える事がある、という記事を寝る前にたまたま読んでいたのですがそれでもちょっとビックリしました。どうも仕組みに若干の違いがある様です。

一月にMacBook Proを買った時はFedExで送られて来たので今回もそうであろう。だったら前回の様にFedExの二十四時間営業の所に配達してもらってそこで回収しよう、と思っていたのですが実際には配達はUPS。UPSだとちょっと不都合です…。結局、一日程散々迷った末に家に置いておく様にしてもらいました。その代わりに配達と同時にメール、SMSの両方で連絡が来る様にして起きました。

実際に到着したのは午後二時半すぎ。その段階で一度家にすぐ戻ってiPhoneを回収してきました。実際に使い始めたのはその日の夕方から。第一印象は「やはりこの大きさがちょうどいい」と「速い!」でした。それからしばらく使ってやはりこの大きさがちょうどだなあ、と思っています。

その反面、これまで使っていたiPhone 6に馴れてしまったのでまた覚えなおさなければならない事が一つ。スリープボタンがiPhone 6では右側にあったのがまた上になったのでそれをふとした瞬間に間違える事もあります。しかしiPhone 6の時でも時々、スリープボタンを上側と間違える事もあったのも事実。そう考えるとまあ変わらないともいえます。どちらにしても一週間ちょっと使ったら馴れてきました。

僕は元々にして大きなスマホに懐疑的だったしあまり気に入っていませんでしたが実際にこうして元の大きさに戻ってみて本当にこのぐらいが一番いい大きさだなあ、と再認識しました。十分に性能はいいし大きさもちょうどいいぐらい。iPhone Plusを使っている人の気がしれない、とさえ思います。

この数年のアップルのあり方はデザイン重視で本当にユーザーの事を考えているのか?と思う点がいくつもあるのですがここに来てその不安を少し拭ってくれる様なそんなiPhone SEだと思います。

2016年3月20日 (日)

停電

ちょっと話は前後してこれは出張の前の週の火曜日の話です。たまたまポスドクのA君がBNLにしばらく来る事になった事に関連した事をS先生と話をしないとなあ、と思ってS先生のオフィスの前でパソコン片手に仕事をしていたら突然、廊下の照明が全部消えました。その場所の照明が全部消えるはずがないはずなのにもかかわらず、です。防犯や安全関係の問題で廊下の照明はいくつかは点きっぱなしで消すことができないはずなのですが…。ブレーカーでも落ちたのか?と思って近所の別の先生に聞いてみたら電気が全くない、との事。

その段階でブレーカーどころではなくどうも停電らしい、と判断をしました。ところがおかしな事に一部では照明がちゃんと機能しています。おかしいなあ、と思いながら実験室の分析計が心配なので実験室に向かいます。実験室もやはり同じ状態で電源が入る物と入らない物が混在している状態。どういう事?と思っていたらその直後に今度は照明がちらつく様になりまた電源が入っている分析計のディスプレイもちらつく様になり始めました。電圧が安定しない状態になっていたのでこれはまずい、とのことで分析計の電源をすべて落として対処。それが終わって今度は分析天秤もおかしいので電源を落としてコンセントを抜いて、さらにもうひとつの実験室にある自動滴定装置も電源を落として、とやっていたら今度は完全に電気供給が停止…。停電してしまいました。

どういう事?と思いながら聞いてみたらどうも建物の停電どころではなくキャンパスの少なくとも半分が停電らしい、との事。一部にはディーゼル発電で電力が供給されるはずの非常電源があるのですがそれらも機能していない状態。それこそがどういう事?という状態。非常電源が機能し始めるまでにそれから数時間。教室も真っ暗なので授業もできない状態。

結局、午後になってから一部の照明が回復した物のコンセントはディーゼル発電機に繋がっている非常電源以外は使えないまま。非常電源に薬品の冷蔵庫と冷凍庫を繋いでまわってようやくすべてが終了したのが五時半すぎ。電気の復旧のめどが立たないまま、キャンパスの数カ所で巨大な移動式の発電機が設置されて始めていました。それを見た時に「これはしばらく停電したままだな」との判断をしました。

その段階で判明したのがキャンパス全体に電力供給していた二本の高圧線の一つがまずショート。それで半分がやられてもう一本に負荷がかかったのでそちらもしばらくしてからショートしてしまったのが原因らしい、と設備の人から教えてもらいました。それではさすがに問題があるので翌朝までの予定で移動式の発電機からキャンパスに電力を仮にでも供給しようと設置されている事を教えてもらいます。

うちの大学にきてこれで随分になりますがなんとこういう事があるのだなあ、と呆れるやら関心するやら…。おかげでその日はとても過酷な一日でした。特に冷蔵庫と冷凍庫は僕が何とかしなかったらどうするつもりだったの?と思うぐらい。中には停電がしばらく続くとわかったらすぐに帰ってしまった人もいるぐらい。自分の実験室の冷蔵庫や冷凍庫の対処もせずに、です…。

結局、電力が戻ったのは夜の十二時ちょっと前。電力が戻り次第、僕のiPhoneに様々な方法で通知が来る様に設定してから帰ったので夜中に一度、たたき起こされました。翌朝に聞いた話ではその段階ではまだキャンパスは電力会社から電力の供給はされていなくてすべての電力は発電機から供給されている、との事。前日の夜に設備の人から聞いた話と同じです。

ところがその日の朝の九時半にまた停電。結局、三、四十分程停電していました。僕は発電機からの供給が電力需要に追いつかないからなのか?と思っていたら発電機の燃料が切れたから発電機が停止したという嘘みたいな話が原因と聞いてこれまた呆れてものも言えませんでした…。いったいどうしたらそんな馬鹿みたいな事があるの、それも発電機の周りでずっとみんな作業をしていて?と思ってしまいました。

さてその段階で電力会社から送電されてはいないのでそのうちに計画停電があって切り替えるのだろうなあ、と思われたので分析計はすべて電源を落としたまま。そもそもの予定では電力が戻るまでは立ち上げない予定でしたが金曜日の午後になってから「春休みの間に学生が質量分析器を研究で使いたいから」との事で頼まれる事に。僕はあまり乗り気ではなかったのですが渋々、そうする事に。土曜日の朝の段階では真空引きもよく全く問題がない状態だったのですが土曜日の午後になってからまた停電…。それも何度も。ほとんど予告無しに大学が電力会社からの電力供給に切り替える事にしたらしいです。もちろん、その段階で質量分析器は停止。仕方がないから「停電で無理」と依頼の来た先生にメールで返信をして諦める事に。その日の夕方にはBNLに行く予定になっていたのでもう手の尽くし様がありませんでした。

その後も結局、何度か停電の影響が春休みの間にあった様で春休みから一週間たった今でもいろいろな問題が見つかっています。まだまだしばらくは停電の影響でやられたものがあるのだろうなあ、と思われます…。電力がないと本当に仕事にならんなあ、と思うそういう一週間でした。ちなみに電力は電力会社から供給はされていますが未だに仮接続になっているとか。いったいいつになったらちゃんと接続されるの?といろいろと考えてしまうこの頃です。

出張(2016年3月 その2)

* 一週間遅れでこの記事は書いています。

今回の出張の最大の理由はポスドクのC君からA君への切り替えの補助と学生の面倒をみる事でした。で、成功したのか?となります。結論から言えば大成功と言えるかと思います。A君に教えられる事をすべて教えてさらに学生のS君も予定していた事をほぼすべて終了。またA君はBNLに駐留しながらもCERNの実験の仕事をするのでそちらの方も同時に教えるという事も土曜日にしてともあれ無事に出張の項目をすべて終了させる事ができました。

もちろん、出張に行ってすべての事が順調に進むわけでもありません。BNLに到着してからその日はすぐに就寝。翌日の日曜日の午後にまずA君をJFK空港まで迎えに行き、その足ですぐにLGA空港に向かって今度は学生のS君とM君を回収します。たまたま到着時間がちょうどいいぐらいずれていたからできた芸当です。それから一路、BNLへ帰還します。

月曜日は朝一番でまずはBNLにやってきたという登録をしてそれから実験場へ向かいます。それから仕事。夕方にボスを駅まで迎えに行ってそれから少し仕事をしてその日は近所で夕食を食べて宿舎へ帰還。火曜日からは毎日、みっちりと仕事です。

出張期間に一番の問題があったのは金曜日の午後の話。昼食後、実験場に戻ってきたら検出器の制御に使われている組み込みコンピューターを再起動させたら再起動できないとの事。しばらく右往左往してからどうもこれは制御系統に問題があるのではなくコンピューターのセキュリティの設定の問題らしい、とそのうちに判明。幸い、STAR実験のコンピューターのエキスパートが手近にいたので事情を説明したら割と簡単に復旧。その後、一時間程してから再び同じ問題が発生して根本的に直さなければならない、との事。その旨を翌日のミーティングで報告する事を約束してその場は何とか解決。それでも一時間以上は実験が停止したので申し訳ない、と思ったのですが後で「もっと何時間も停止すると思っていた」とシフトリーダーから教えてもらってちょっとホッとしました。

土曜日の昼前にその報告などを兼ねて実験場に行っていたら同じ組み込みコンピューターがまた再起動しないとの事…。今回は症状が違うという事で見てみたら前日よりももっと早い段階で再起動できなくなっていました。これは再起動ではなく電源を完全に一度落としてからまた電源を入れる必要があるな、と思ったら電源を落とす事ができません。電源の制御ができなくなっていたのです。電源はすべてフィールドバスで繋がっているのでそのコントローラーを再起動する必要性があるな、と判断をしてコントローラーを再起動。それが終了してからようやく電源を落としてまた立ち上げてようやく復旧しました。こちらはたまに起こる想定内の事だったので無事解決です。

後は夜中に緊急呼び出しもなかったしまあよかったなあ、と思います。僕は制御のエキスパートとして現地にいた事は期間としてはそれほど長くはありませんが何年も関わっているのでだいたいの見当はつきます。だから土曜日の問題は見た時に「ああ、こういう事か」と見当がついたのですぐに解決させる事ができました。こればかりは経験なのでどうしようもない事ではあります…。

その夜は行きつけの日本食レストランへポスドクのA君を連れてお寿司を食べに行ってきました。A君は「ちゃんとしたお寿司を食べるのは初めて」との事。貧乏学生だった時代が長いからそもそも外食をしないので、との事です。

その後でふと思ってオマハまで帰る飛行機の座席を確認する事に。最近は大学の政治的な事情で自分で航空券を買う事ができず、旅行会社を通して買わなければならないのですが「窓際にして下さい」と指定しても何故か通路側になっている事が多いので確認をしておきます。当然、航空券を買ったすぐにチェックをして変更できるならば変更するのですが帰りの便だけは満席で変更ができなくなっていたのです。が、何故か空いている窓際の席があったので空いているうちに変更しておきました。直前だと意外にできる物なのだなあ、と思いました。

最終日の日曜日は午前中に少しだけ実験場に行って仕事をして午後は宿舎付近をぶらぶらとする怠惰な日曜日でした。飛行機がLGA空港から夜の九時なのでBNL出発も四時過ぎで余裕。結局、四時半に出発しました。

LGAまでは途中で渋滞があったりして到着したのは六時過ぎ。まあまあの時間です。セキュリティを通過してからまずは夕食。散々考えた末に結局、少しはいいものを食べたいと思ったので空港のレストランに入りました。最近は若い頃と違って少し良い物を食べられる時に食べよう、と思うようになってきたので時々、そういう事をします。メニューを見たら前菜にエスカルゴに鴨のコンフィがあったのでそちらを注文。安くはなかったですが美味しかったです。

オマハまでの飛行機は満席。満席どころかオーバーブッキングされていて「千ドルで明日の飛行機にする人」の斡旋をしていました。一瞬、僕もやろうかな?と思ったのですが仕事に行かないわけにはいかないので(まあ何とかなるといえばなるのですけど)やめておきました。これが土曜日の夜の便だったらきっとやっていたなあ、とは思いましたけど…。

今回はオマハまでの直通だったので乗り換えもなく楽といえば楽でした。飛行機が小さいので手荷物が入るのか?と思いましたが問題なく頭上の荷物入れに入りました。ある程度は早いもの勝ちですけどね、当然の様に。今回は荷物を減らせるだけ減らしたので預けずに手荷物だけ。そういう意味でも乗り換えがないのは楽といえば楽でした。

さてオマハには定刻に到着しました。今回は飛行機の時間の関係から僕の飛行機の三十分後にシカゴからオマハに到着するはずのボスが家まで送ってくれるはず予定になっていたのですがシカゴで飛行機の乗り換え時間が短いから別の誰かに僕を家まで送ってくれるとかどうとかいう話でした。オマハに到着するまでどうなったのか全くわからない状態でした。到着してみたら無事にシカゴーオマハ便に乗れそうとの事。しかし予定外の事態で手荷物を預ける事になったとの話。

結局、ボスの飛行機は予定通りに到着したのですがその後、預けた荷物が出てくるのに四十分以上待つ事になりそれから車を回収してだったので家に帰ったのは午前一時過ぎ。それから必要最低限の事をしてから寝て通常時間に起きたら結局寝たのはたったの三時間。翌日は眠くて辛い一日でした。その後も結局、寝不足が解消するのに一週間ぐらいかかった様な気がします。それでもともあれ無事にオマハに帰還です。

2016年3月 7日 (月)

出張の日に(2016年3月)

元々は一月ほど前に出張の予定だったのですがその段階で出張に行くとどう考えても潰れてしまうと判断をして結局、延期になった出張の振替の出張が春休みの今週です(がその一方でどっちみち春休みだから出張に行ったのか?という気もします。そうなるとただ単に出張が一つ減るだけなのか?という気もします)。

が、その前に春休み恒例のボーイスカウトのボランティアがまずありました。昨年は諸般の事情でボーイスカウトのボランティアが一週間早く行われたのですが今年は例年通りに春休みの頭の土曜日に開催されました。その関係上、夕方の飛行機なのですが朝から荷物をまとめて職場へ向かいます。ボーイスカウトを終わらせてから空港に行けばまあちょうどいいぐらいになる、と判断をしたからです。朝六時半に大学院生に迎えに来てもらって職場へ向かいます。

僕の役割はこの数年と同じくガイガーカウンターを使って放射線の測定実験です。今年からはガイガーカウンターが新しくなって放射線を検出するとピッと音が鳴るのですが、この音を消す事ができない。その上、実験を行っている時だけでなく電源が入っている間はずっと音が鳴るので実験室に二時間半ぐらいいたらああ、うるさかった、と本当に思いました。

また相手がボーイスカウトの子どもたちなのでちょっと端折って背景放射線を計測せずにいるのですが当然の様にそれにも音が鳴るのでそれもちょっと心配でした。何にも放射線がないはずなのにどうして音が鳴るの?と聞かれるか?と思っていたのですが結局誰にもそういう質問はありませんでした。

ボーイスカウトのボランティアが無事終了してから研究室に朝、放り込んでいた荷物を回収してボスに送って空港まで向かいます。今回はラガーディア空港に到着するのが夜の十一時すぎと遅く、そこから更に運転しなければならないので荷物を軽くして手荷物だけで済ませます。また今回は荷物を預けるのが二つまで無料のサウスウェスト航空ではなく25ドルの料金を取るデルタ航空なので預けないほうが有利という判断もしました。それでもさすがに手荷物程度の荷物だけで一週間はちょっとさすがにちょっときついので少しだけ翌日合流予定の学生たちに持ってきてもらう事に話を最初からつけてあります。

さてオマハからはまずミネアポリスまでこの飛行機はまあまあ混んでいましたが隣は空席。オマハを早く出たにもかかわらず結局、ミネアポリスに到着は定刻。元々、乗り換えの時間が少ないなあ、とは思っていましたが案の定、ゲートからゲートまで走る事に。ゲートに到着した時にはラガーディアまでの飛行機はすでに搭乗し始めていました。いったいいつ夕食が食べられるのか?という気はしましたがまあ何とかするしかありません、こうなると。

ラガーディア空港までの飛行機もまあまあ混んでいましたが満席ではなく、隣はまた空席。そのおかげで割と快適ではありました。ラガーディア空港には定刻よりも若干、早く到着。すぐにレンタカーのシャトルに乗って一路、ロングアイランドを目指します。

さて今回の出張は元々は二月の出張の振替なのですが二月の出張が中止になってから行くはずだった週になって事情がかなり変わってしまいました。元々二月の出張はポスドクのC君がデータ解析の仕事をしないから専門家と仕事をさせるという理由でバークレーに送るという事だったのでそれが一月伸びた事になるはずだったのですがそのC君、なんとBNLの別の部署で今月の半ばから働く事になったのです。何が困るかというと実験が行われている間に現地に誰もいない事になるのです。その事についてはしばらくどうしよう?と揉める事になったのですが結局、うちのグループのCERNのポスドクのA君がしばらくBNLに来る事になってとりあえず解決しました。

そのC君は来週の月曜日(三月十四日)から別の部署に異動するのでちょうど今週、ボス、A君、学生二人に僕の五人がBNLに行ってできる事をできるかぎりする、という計画に変更となりました。CERNの方はどうなるか?なのですがこちらは来月、しばらく僕が行く事でカバーできるだけカバーする事にして(とりあえず)解決です。僕は来月の半ばまで身動きが取れないのですね、本職の化学の方で僕が必要とされているので。

本来ならば学生たちと一緒に行くのが効率がよかったのでしょうが僕の飛行機は一月の終わりに変更されてすでに決まっていたのでこれ以上は動かす事ができません。土曜日の夜に行くのもそうする事によってC君との一週間の間の引き継ぎを日曜日の朝にやってC君は午後にバークレーに行って、の予定だったのですが結局、僕だけちょっと無駄に一日早く行く事になってしまいました。帰るのも金曜日か土曜日がちょうどいいのですがこちらも学生たちが金曜日に帰るのに僕は日曜日の夜に帰る形になります。その間にA君と仕事をしようか、と思っていますけど…。

人数が多い関係上今回は宿舎もBNLのボロい短期の宿舎ではなく長期滞在向けのアパートなので若干、快適です。少なくとも夜中にトイレに行くのに寒い廊下を延々と歩く必要性がないことは確かです。

研究所に到着して宿舎の鍵をもらって部屋にたどり着いたのはもう午前一時近く。結局すぐに寝てしまいました。翌朝、起きてからまずシャワーを浴びてコーヒーを、と思ってキッチンの電気コンロでお湯を沸かし始めたのですが…いつまでたってもコンロが温まりません。仕方がないから電子レンジでお湯を沸かしてとりあえず解決。夕方にハウジングのオフィスが開くのを待って連絡をしなければなりません。

それから朝十時に毎日あるミーティングに顔を出しに行ってコントロール・ルームにも顔を出してきてから宿舎に戻って午後まで待機です。午後には学生と同僚を空港まで回収に行く予定です。

2016年2月 8日 (月)

ようやくのお休み

今週末は久しぶりにお休みを取る事にしました。考えてみると最後に休みを取ったのがいつの事なのかすらわからないそういう状況…。多分、十一月のいつかに休んだのが最後で感謝祭もクリスマスイブもクリスマスも大晦日も元日もずっと休みなしで働いています。それだけ仕事が多かったから、なのですが本来ならば実は今週は出張でロングアイランドに行く予定だったのでまだまだ休みなしの状態が続くところでした。多分、出張に行っていたらその間に溜まった仕事を消化するのにあと一月分の週末がなくなったのではないかなあ?と思われます。

出張を取りやめたのは行く直前の話。どう考えても無理、と判断をしてボスに話をしに行ってから急に決定です。そもそも今回の出張はポスドクのC君の解析の仕事が全く進まないのでバークレーにいる人の所まで送って、との事だったのですがでもよく考えたら変な話です。だって僕は出張に行って何のメリットもない。で、仕事をしないC君をバークレーに送るのでその留守の間をカバーするのに僕が行く…。仕事をしない奴の仕事をカバーするの?何かおかしくない?となったのです。しかも僕は本職の方で手がいっぱいなのに…。

ともあれ出張がなくなってその後、火曜日が大雪の予報だったので火曜日が休校。休校になっても僕は仕事に普通に行きました。実は仕事がなかなか進まなかったり週末に仕事に行く理由の一つは平日の日中って仕事にならないのです、人の邪魔をされて。だから火曜日が大雪で休校になると発表された月曜日の午後には「明日も普通に仕事に行こう」と決めてあったのです。大雪で休校でやってくる人はほとんどいないのでその分を仕事に当てる事にしたのです。そのかいもあって今週末は休んでも大丈夫なぐらいの所まで到達しました。

休みが必要なことは理解していましたが実際に休みになったらどうするのか?結局、本を読みました。読んだのは先日刊行されたあの小保方さんの手記、「あの日」。Kindle経由で購入しました。以前はなかなか日本語の本が買えなかったのですがKindleで買える様になったので時々、日本語の本を買って読む様に最近はなっています。便利な世の中になった物です。僕が大学生の時とくらべても格段に便利だなあ、と本当に思います。

さてその小保方さんの本ですが、恐らく本人はまだ本当にSTAP細胞があると信じて疑っていないのだろうなあ、と思われます。理系の人って意外に単純でそういう話はいくらでもあります。また本人は自分が行った画像の切り貼りがやってはいけない事であったとの自覚が全くなかった様です。画像の使い回しなども含めて恐らく研究者としての自覚がなかった。それだけならまだしもマスコミに注目されてしまってああいう事になってしまったのは可哀想な人だなあ、と思います(こちらについては後日、もっと詳しく書く予定でいます)。しかしまあ駄文だなあ、と思いました(が僕がどこまでちゃんと書けるかわからないのでそれ以上は追求しません)。

後はそれほど何にもしないそんな週末でした。ある程度睡眠もちゃんと取りましたけど…。もう少しちゃんと料理もすればよかったかなあ、と思うそんな日曜日の夜です。

2016年1月10日 (日)

出張(2016年1月その2)

出張の続きです。日曜日に到着してその日はそのまま大学院生とポスドクとは解散。夜に僕と元々は一緒に到着する学生を駅まで迎えに行く事になりました。それまで時間があったので夕食を食べに行くとともに簡単に買い物を済ませて宿舎で待機。予定していたよりも早い時間に一つ手前の駅を過ぎたとSMSが届きあわてて駅まで迎えに行く事に。

翌朝、書類手続きをして回ってそれから朝の飛行機でJFK空港まで到着した学生を駅まで迎えに行ってきました。これで学生三人、全員が揃う事に。三人とも研究所は初めて。その関係で加速器関連の放射線安全講習を受けなければならないので講習のある所まで連れて行きようやく一人でゆっくりとできるなあ、座った瞬間に学生の一人からSMSが届き、十五分待っても誰も来ないとの事。あわてて講習のある建物まで戻って対処をする事に。大学院生を連れて講習をする人を探します。しばらく右往左往してようやく何とかなりました。やれやれ。正月明けで忘れていたらしいです…。

僕はその日、それから二つ続けてミーティングがあったので対処。それから学生たちとポートジェファソンまでシーフードを食べに行ってきました。それは僕が学生たちにおごり。

翌朝は朝四時に大学院生とポスドクをそれぞれ駅と空港まで連れて行く予定なので帰ってきたらすぐ就寝。三時半に起きて彼らを駅と空港に送って宿舎に帰還。学生二人を待つことに。実験場でしばらく仕事をしてから学生たちはもう少し事務手続きが残っていたのてそれを済ませて僕はその間にもう一つミーティングがあったのでそちらに行ってきます。その関係でPHENIX実験の見学をする事になったので学生二人を引き連れて行ってきました。

その後、昼食を食べて僕はもう一つミーティングがあったので学生たちに作業の指示をしてミーティングへ。それが終了してからまた学生たちがいる実験場に戻って学生たちと作業です。それでもその段階でミーティングが全て終了。仕事に専念できる様になりました。

水曜日の朝、車タイヤがパンクしていました。前日から空気圧が低い、という警告が出ていたのですがどうやら釘を踏んでパンクした様です。幸か不幸か車を借りたのは研究所にも受付があるレンタカー業者だったのでスペアタイヤに交換して受付まで行って見ます。ところが八時から営業しているはずなのにも関わらず、誰もいません。仕方がないのでそこに書かれている電話番号に電話をかけて問い合わせる事に。九時まで待ってくれ、との事。

Flat

九時にようやく人が受付に来たので話をしたら代わりの車を用意してあるとの事。所がこれが何故かミニバン。小型乗用車を頼んであったのにこれはちょっとないんじゃない?と思ったのですがそれ以外に選択肢はなし。やれやれ。

Minivan
それでもその日に学生たちは一番心配していた作業を無事、終了。予定していた事の九割をその段階で無事終了。その夜は学生たちと研究所の近くの店までピザを食べに行きました。

Pizza

翌日に作業を全て終わらせるつもりだったのですが木曜日は検出器の電磁石のテストのため検出器まで行けず早い時間に断念。木曜日はあまり何もできなかったそういうちょっと無駄な一日でした。

話では金曜日も電磁石のテストがあるとの事だったので金曜日は電磁石テストが始まるよりも早い時間に実験場まで行く事に。金曜日に帰る飛行機なので荷物を全部車に積んで早めの時間に実験場まで向かいます。作業をさっさと終了させてから細々した作業をちょっとして研究所の食堂で昼食を食べてからニューアーク空港まで向かいます。

前回、夏に来た時に研究所からニューアークを運転しているのですが今回は大きな車なのでかなり気をつかって運転しました。結局、二時間ちょっとかけてようやく到着。まあまあの時間で到着しました。レンタカーを返却した時に今回の一件についてはちゃんと苦情を言っておきました。何しろこちらは小回りができて燃費がいいから小型車を頼んでいるのにそれが取り回しにくいミニバンになったのですから。しかもそのミニバン、ガソリンが半分しか入っていませんでしたし…。それでもさすがはプロ、誠意のある対応をしてくれました。

ニューアークから先は学生の一人は数日、実家に帰るのでオマハまではもう一人の学生と僕の二人がオマハ行き。まずはセントルイスまで。ニューアーク空港はいつもの様に大混雑。飛行機も満席。それでもさすがにクリスマス、及び正月休みを過ぎているので旅馴れていない人が少ないのでまだ随分と楽でした。

セントルイスからの飛行機はゲート変更があったもののほぼ問題なく出発。オマハには若干、早く到着しました。程なく友人が迎えに来て無事、家に到着。朝に雪が降ったのでまずは雪かきをする事に。

Snow

その日はそのまますぐ就寝。翌朝、起きたら朝五時。しばらく考えてからそのまま動き始める事にしました。先日、注文した新しいMacBook Proの配達が実は木曜日に早まって仕方がないからFedExの一番近い受け取り所で留めてあったのを回収してくる事に。それと同時に職場にちょっと立ち寄って事務仕事を済ませてから食料の買い物をしに行く事に。なんだかんだと家に帰ったのは一時間半ぐらい後。

それから一度だけちょっと外に出ましたが基本的にはずっと家です。新しいMacBook Proの設定などに時間を費やす事に。今週末の間に済ませたほうが仕事に影響が出ないはず、との判断をしました。ともあれオマハには無事、帰還しました。水曜日から授業なのでその前に幾つか済ませてしまわないといけない事で明日、明後日、明々後日ぐらいは追われそうです。

2016年1月 4日 (月)

出張(2016年1月)

明けましておめでとうございます。新年早々に今年も出張です。今回はロングアイランドの国立研究所まで金曜日までの一週間にも満たない短い出張です。元々はボスも行くとか行かないとかだったのですがまあいつもの様に予定は未定で結局、ボスは行かない事に。実は今回は半分ぐらいは学生の子守りです。

オマハ発の飛行機は朝六時過ぎの離陸時間なので空港までの迎えが来るのは朝五時前。それに合わせ起きたのも午前四時前。さすがに朝に強い僕でもちょっと早いです。それを考えて前日は寝たのが夜の九時過ぎ。そうしないとまともに眠れないな、と思ったからです…。

Eppley

オマハの空港はかなりの混んでいました。まあまだクリスマス休暇の方も多いですし、恐らく今日帰るという人がたくさんいたからなのだと思われます。しかしまあ何と旅なれていない人が多い事か。空港のセキュリティチェックの所に来てもまだ何やら右往左往している人がたくさんいました。何と整わん事をしてるの(金沢弁)?と思ってしまいました…。

Omastl

オマハからはまずセントルイスまで。最近はセントルイス経由が多いですね。飛行機は当然の様に満席。それでもちゃんと予定時間に出発したのでまずまずです。先日からセントルイスでミシシッピ川が氾濫している、という話でしたがやはりセントルイス近辺ではこの状態。

St_louis

こんなに水があるのはちょっと異常のはずです。空港はさすがに大丈夫な様でしたが…。

セントルイスでの乗り換え時間は一時間なかったのですが幸い、ゲートがすぐ隣のゲートだったので乗り遅れる心配は全くありませんでした。次はニューアーク空港までです。

Stlewr

当然の様にこのフライトも満席でした。

ニューアーク空港には予定よりも若干、早く到着。ここで学生の子と合流のはずだったのですが出発前から音信不通。どうしたの?と思っていて到着したらSMSが届いていました。シカゴで乗り換える飛行機に間に合わなかったとの事。シカゴを五時に出る飛行機に席はあるけどそれより早い飛行機にしてもらうのに空席待ちとの事。待っていてもしかたがないのでそのまま一人でレンタカーを回収してロングアイランドを目指します。

研究所に到着は思ったよりも早かったですがそれでも疲れました。宿舎の鍵を回収してそれから宿舎へ。そこで年末から来ていたうちの大学院生と合流。部屋に荷物を置いてから少し大学院生の子と話をします。そこへここに駐留しているうちのポスドクが合流。しばらく話をして今日、明日の予定を確認します。実は明日の朝にもう一人合流予定なのです。

それから何だかんだと話をしたりして夕方になって僕は一人で簡単な食料を買いに行くと共に夕食を食べに一度、研究所の外へ出る事に。学生が数名今回はいる手前、一人でどこかに行こうと思ったら今日行くのが一番、と判断をしたからです。で、行った先がこちら。

Sushi

ここのお寿司は値段を考えるとアメリカで一番おいしいところの一つではないかなあ、といつも思っています。ロングアイランドに来ると時間があると必ず行くので最近は女将さんに顔を覚えられていますし…。

そうこうしているうちに学生からまたSMSが届き、九時半に最寄りの駅に到着する電車に乗るから、との事。まあその電車だろうな、と予測はしていたので想定内の話です。それまでまだ時間があるのでその間に簡単な食べ物を買いに行って一度宿舎に戻って待機です。九時頃に研究所を出ればいいかな?と思っていたら八時半にSMSが届き、一つ向こうの駅を通過したとの事。慌てて研究所を出て「今行く」と返信をする事に。

それでもまあ夜で道も空いていたのでそれほど遅くもなく駅に到着。まだ夕食を食べていないという事なので近所のファーストフードに入ってそれから研究所へ。宿舎のチェックインを済ませてようやく終了です。まあ明日の朝、もう一人やって来るのですけど…。ともあれ出張の一日はそういう日でした…。

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